「もっとやって」「まだ足りない」「こんなにやっているのに感謝してくれない」……。夫婦げんかの原因になりやすい、家事や育児の分担はどう決めるべきなのか。アメリカの作家で2児の母のKC・デイビスさんは「仕事を平等にしようとすると議論が破綻する。休息を公平にすることを考えた方がいい」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、KC・デイビス『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。

議論する男女
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「仕事量を平等にする」のは難しい

ケアタスクで最も難しいのは、パートナーとの間の不公平な分担作業への対処です。この当たり前の取り組みに対して、ここで正当な評価を下す時間はありません。でも、この問題に対処するための新しい方法をあなたに提供することはできます。

カップルの多くが、平等に振り分けをしようという考えから問題に取り組みます。そのときに使われる公式は、相手が給料をもらっている『仕事』を数値化し、そして私が給料をもらっている『仕事』を数値化し、その後ケアタスクを振り分け、2人の間で平等にするものであるべきです。

このアプローチは、こんな感じです。

問題点は、タスクに必要な労力を定量化することが、厳密には不可能だということです。どちらがより働くかの取り決めは、比べようがないという結論に行き着く場合が多いのです。消費した時間で推し量るのでしょうか? 肉体的にハードな仕事でも、短時間で終わる場合はどうですか?

精神的に、あるいは感情的に疲労する仕事と、そうでない仕事の場合はどうですか? いつ何時でも待機が必要な仕事の場合は? 出張が多い人は就労時間が長いからケアタスクを減らすべきなのか、それとも出張が多い人は共同で行うケアタスクが一切できないので、ひとりでできるケアタスクを増やすべきなのでしょうか?

家族の労働の比較。ケアタスクと有給の仕事量の比率が違う。
イラスト=Lydia Ellen Greaves
家族の労働の比較。ケアタスクと有給の仕事量の比率が違う。KC・デイビス『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(SBクリエイティブ)より

「どちらがたくさん働いている」の言い争いは破綻している

最も大切なのは、「どちらがより働いているのか」というスタンスでの言い争いが発生するときには、すでに議論は破綻しているということです。枠組みが物事を平等に保っている場合、パートナーが「もっとやってほしい」と言ったときに、もう一方の人に聞こえるのは「まだじゅうぶんじゃない」という声です。感謝されていないという感情が加わってしまったら最後、議論は皿洗いの話ではなくなります。

パートナーは、恐れから行動しているのです。利用されていることの恐怖(私がどれだけ実際に働いているかなんて知らないのだから)、誰かを利用している恐怖(あるいは誰かを利用していると思われることの恐怖)です。ある人はあまりにも多くを引き受けてしまい、燃え尽き、憤慨し、一方でそのパートナーは相手を信頼することができず、自分で自分の面倒を見なければいけないと考え、相手のためには何もやらなくなるのです。

目標は「休息を公平にすること」

目標は仕事を平等にするのではなく、休息を公平にすることなのです。片方のパートナーが家にいることでこの対立を避けられると考えている人は、この対立に最も巻き込まれやすい人だともいえます。

炭鉱労働者と専業主婦を考えてみてください。炭鉱労働の1時間は子育ての1時間よりたいへんだと二人が納得したとします。だから、難しくない仕事をしているパートナーが家族のケアタスクのすべてを担うべきと考えます。このとき、この図式は平等のように見えます。それでは何が問題なのでしょうか?

問題は、このような家族の多くで、炭鉱労働者は午後5時に仕事を終えて、週2回の休暇があるということです。一週間分の仕事を終えたのだから、週末寝過ごし、自分の時間を使ってレクリエーションを楽しみ、やりたいことをやっても問題を感じません。一方で、「簡単な」仕事をしているパートナーは、このような休暇が組み込まれてはいないのです。

炭鉱労働者と専業主婦の親は、どちらがより働いているのか、怒り心頭に発するまで激論をかわすでしょう。2人とも疲れているのが真実です。2人とも、それぞれの仕事について、感謝してほしいのです。そして2人とも、休息を取る必要があります。そうです。あなたが「楽な」仕事をしているといっても、休息は必要なんです。

家族の労働の比較。パートナーAは石炭の採掘、パートナーBはケアタスク。KC・デイビス『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(SBクリエイティブ)より
イラスト=Lydia Ellen Greaves
家族の労働の比較。パートナーAは石炭の採掘、パートナーBはケアタスク。KC・デイビス『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(SBクリエイティブ)より

ケアタスクの仕事は有給の仕事とは違う

ケアタスクの仕事は本来、有給の仕事とは異なります。難しいとか、簡単だとか、そんなことではありません。違うのです。ケアタスクは繰り返され、終わりがないもの。特に子育てにおいては、すべてが「完了」して、退勤はできません。あなたが想像できる限り、最も「楽」な仕事を思い浮かべてみてください。そして自分自身に、その最も楽な仕事を、一日16時間、一年365日、夜間のオンコールの待機をしつつやってみると想像してください。これをして健康でいられる人はいません。

休息を公平にするために、何を話し始めたらいいでしょうか?

まずは、互いの仕事の価値を言い合うのではなく、互いを思いやり、そして「どうやったら2人とも休息を取ることができるのだろう?」と考えてみてください。この会話には誰が家事をするかについても含まれますが、それ以外でも、多くのことが関係してくるはずです。

どちらの仕事が「大変」で、「より儲かる」かはさておき、炭鉱労働者もケアタスクや子育ての一部を担い、パートナーが一週間の中で休息を取り、気晴らしができるようにする必要があります。

本当のパートナーはこれを望みます。給料や就労時間をベースにして考え、パートナーよりも休息を取る権利があると考えようとはしません。これは敵対者から自分の休息を守る必要がある取引ではありません。これは互いの幸せを大事にするパートナーシップの話なのです。

この目標は棒グラフで比較するものではなく、折れ線グラフのほうが適切です。2人が協力して休息を取り、そして人生を楽しみ、季節が変わったとしてもそれが公平であり続けるためのものなのです。

休息のチャート。時間が経つにつれ公平になる。
イラスト=Lydia Ellen Greaves
休息のチャート。時間が経つにつれ公平になる。KC・デイビス『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(SBクリエイティブ)より

どうやって公平な休息を手に入れるか

マイケルは忙しい弁護士事務所で働く弁護士です。仕事をスタートさせてから18カ月間は、週に7日働いていました。私は専業主婦で2人の子どもを育てていました。

私たちはそれぞれが、休息を必要としていましたし、家がしっかりと機能し、2人が休むことができるようにしなければなりませんでした。

そこで、私たちが考え出したのがこれです。まず、休息とは何かについて具体的に説明させてください。

①休息とは楽しいものです。気晴らしができるアクティビティを自分が選ぶことができます。テレビを見たり、絵を描いたり(昼寝でもいいけど)、リラックスできるものであることが大事。あるいはハイキングやショッピングといったアクティブな活動もいいでしょう。休息とはケアタスクを1人で行うことではありません。

食料品の買い出し、ヘアカット、シャワーを浴びることは休息ではありません。

②休息は充電です。何を充電するのかは人それぞれで、多くの種類の休息があります。私の友達はスピンクラス(サイクリングのトレーニング)に行き運動することで心が空っぽになり、精神的な充電ができると言っていました。これは彼女にとって精神的な休息となっているわけです。私自身は、エクササイズは肉体的にも精神的にも休息にはならないと思っています。

1人で好きな番組をずっと見ていることが、最もリラックスできると感じる場合もあるでしょう。私自身は仲の良い友達と子どものいないランチ会で、楽しくて刺激的な話をして充電し、社会的関係性の中で安らぎを得ることができます。

「待機」は「休息」ではない

③休息とは時間の自主性を含みます。ケアタスクは、誰もが休息しつつ、家の中が機能する時間を確保できるように分担するべきです。

子どもがいるパートナーシップの場合、休息時間はより構造化されると言っていいでしょう。「誰かがあなたの不在をカバーする」ことなく、自分がやることを決め、行うための、確保された時間というイメージかもしれません。片方が気まぐれに行動をし、その人のパートナーが子どもの面倒を見るだろうと予測する一方、パートナーが午後に外出したいがために、相手に対して3週間前に1日のスケジュール表を渡さなくてはいけない状況は、公平な休息とはいえません。誰にでも、1週間のうちに自主的な時間を持つ機会が与えられるべきなのです。

④休息はオンコール(待機状態)ではありません。土曜日にテレビを見ようとしているのに、子どもがリビングルームで遊んでおり、お菓子が欲しいとねだられ、10分おきに喧嘩の審判をしなければならないなんて状況は、休息ではありません。

「ちゃんと休む」責任

⑤休息には責任が伴います。あなたの休息時間を守るのは、あなたのパートナーの責任ですが、あなたの責任は実際のところ、ちゃんと休むことです。あなた個人の完璧主義が、あなたの休息時間を床板磨きに使っているのだとしたら、それはあなたのパートナーの責任ではありません。

子どものいるリビングルームでテレビを見るのが楽しくないだとか、1人でシャワーを浴びるスペースを確保することが重要じゃないと言っているわけではありません。私が言っているのは、こうした行動は休息という人間の本質的な欲求を満たさないと言っているのです。

休息は睡眠と同じぐらい大事です。それは本当です。でも、休息は睡眠以下でもありません。ですから、私たちの公平な休息のゴールは睡眠からスタートしました。

睡眠時間を確保する

私たちの最初の子どもが生まれた直後、マイケルと私は週末の朝を分担することで、睡眠時間を確保するようにしました。土曜の朝は私が子どもたちと早起きして、日曜の朝はマイケルが早起きをします。寝ているほうの親は朝の10時まで、寝る、あるいは目を覚ましていたとしても好きなことをしていいことになっていました(それでも寝ることを選んでいましたが)。

マイケルは週末でも数時間は仕事をしなくてはいけなかったので、彼が仕事をしているときは私が家を守ることは当然だとも思えます。しかし、週末の寝ていない時間、あるいは仕事をしている時間は、家族の共同養育の時間であると決めていたのです。

もう一方が子どもの面倒を見るだろうと仮定しても、ふらふらと家から出ていくことはしません。その代わりに、週末に必要なことは何か、何をすべきなのか、義務、そして楽しさを考慮して行動計画を練るのです。

許可を得るということではありません。それは相手をリスペクトすることなのです。一方の犠牲のもとに、もう一方に自動的に自由な時間が与えられるわけではありません。

夕方、マイケルが仕事から家に戻ると、彼はすぐに子どもたちと一緒に過ごしてくれます。私は子どもたちの世話から夕食の支度に入り、そして彼は子どもをお風呂に入れ、寝かしつけをしてくれます。このとき、私は1日の終わりの仕事をするわけです(あとで詳しく説明します)。

ベッドの上で起きれなくて、顔の前で腕を組む女性
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誰もが7時30分には退勤!

午後7時30分に、汚れたリビングルームに私たちが座るとき、洗濯物は畳まれていませんし、少なくとも1カ所は爆弾が爆発したあとのような状態になっています。それでもとにかく、私たちは座るのです。誰もが7時30分には退勤です。なぜなら私の家で公平な休息を取るために重要なのは、ごみ出しの仕事が誰のものかという議論より、互いに感謝の気持ちを伝え合い、疑わしきは罰せずという気持ちを持つことなのです。

KC・デイビス『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(SBクリエイティブ)
KC・デイビス『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(SBクリエイティブ)

ケアタスク以外にもある100万種類ものタスクの中で、どのようにして会話をするのか、どのようにして楽しむのか、どのように愛するのかが、信頼の基礎となってくれます。マイケルは子どもたちの支度を手伝うために早起きはしませんが、それはいいのです。彼は余分な睡眠時間が必要なのでしょう。それと同じように、彼が家に戻ると、わが家は雑誌から抜け出したようなきれいな状態ではありませんし、彼はそれで平気だそうです。子どもと私が、とっても楽しい1日、あるいはとてもつらい1日を過ごしたのかなと想像するだけだそうです。

マイケルも私も、普通の夫婦と同じ葛藤があります。普通のカップルと同じく、家事について意見を対立させることだってあります。でも、休息を平等にすることに集中する以上の解決策はありませんでした。平等な休息は分担作業の失敗をカバーしてくれるのです。