私が悪かったわけではなかった

私にとって大きかったのは、親と訣別している間に「自分の気持ちを自分で聞いて、自分で応える」という作業を徹底的に行なったことで私自身に変化があったことです。

親と再会するという、自分の気持ちに沿って思い切った行動をしなければいけない時、そのためのリスクも覚悟する、というのをやってみて、「自分の行動に、自分で責任を取る」という感覚を初めて体験しました。

つまり、親の反応がどんなものであっても、それを自分のせいにしない、ということです。私はずっと、親に嫌な反応をされると自分が悪いからだ、というのでおさめてきていました。

それは親自身が事あるごとに、私に「お前が悪い」と言っていたからなのですが、3人家族の中で一人娘を悪者にすることで保たれた家庭から飛び出し、「私は別にそんなに悪くなかった。ずっとおかしいと思っていた」という自分の気持ちに寄り添うことで、やっと、親の好き勝手な言動をすべて回収する役割から抜けて、親の反応は親のもの、私の気持ちは私のもの、という境界線を認識することができたのです。

自分が変わると「ケロッと両親」の印象が変わり、私の変化に影響されず、いつでもブレずに「娘がヘソ曲げてんな」の一点張りでいてくれるのもラクだな、と思うことも増えていきました。

主語を「私」にして考える

そういう中で、私が心がけている「親への要望の伝え方」では、5つのステップを踏みます。

①自分の気持ちをしっかり確認する

まず、自分の気持ちに沿った要望じゃないと意味がないので、ここが1番重要です。

例えば、いつも玄関の鍵を開けっぱなしにしている親に対して「鍵をちゃんと閉めてほしい」という要望を伝える時。

どうして閉めてほしいのか、閉めてくれないと私はどう困るのか、を徹底的に探ります。主語を「私」にして考えます。

「子どもを預けている時、玄関からいきなり知らない人が入ってくるかもしれない。実際にそういうことが起こる可能性は低いかもしれない。だけど私は安心して子どもを預けられない」

これを探っているうちに、「親がやってくれなくても他で補えることだ」と気づくこともあります。逆に「これは絶対に言わなければいけないことだ」という気迫が出てくることもあります。

②それに沿って、親が受け入れてくれなかった場合の線引きと覚悟を決める

線引きというのは、もしそれをしてくれない場合、今後の親との関係をどうするかという具体的な展望です。

親に「鍵はこれからも開けるよ」と言われたり、無視された場合。

ここで①で考えた「どうして閉めてほしいのか」が活きてきます。

例えば「それならもう預けることはできない」と自分が思うのであれば、そこで覚悟を決めなければいけません。親に預けるという、自分にとって快適な部分をあきらめる勇気を持つ、ということです。