漫画家の田房永子さんは、子どものころから母の過干渉に悩み、大人になってからは10年以上絶縁状態に。しかし、自分に子どもが生まれたことで、親との関係を変えようと決意し、試行錯誤した結果、今では「納得感を持って自分の要望を親に伝えることができるようになった」という――。
世代の紛争
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伝わらずモヤモヤ、厳しく言って自己嫌悪…

コロナの制限がゆるくなった今年は、お盆の帰省で2年ぶり、3年ぶりに親に会ったという話をよく耳にします。

しかし親と対面して、あたたかい気持ちになるだけではないのも現実……。

悪気なくイヤなことを言ってくる親にモヤモヤしたり、こうして欲しいと前に言ったのにぜんぜん伝わってなくてイライラしたり、親への違和感を抱えることもあれば、思わず感情的になって親に厳しく言ってしまって自己嫌悪してしまっている方もいるんじゃないでしょうか?

そんな、自分の気持ちと親の間で板挟みになっているあなたへ……。

子どもの頃から母の言動に悩みまくり、大人になってもフルパワーな母からの過干渉に身も心もボロボロになり、10年近く絶縁しながら自分の精神の回復作業をし続け、現在は母と、月に1~2回のペースのメールと年に5日間くらい(トータル25時間程度)会って交流することが可能になった私が「親への要望の伝え方」をお伝えしたいと思います。

親子関係は人それぞれ全く違うので、参考になるかは保証できません。

でも、正月のリベンジや、今後の親子関係へのヒントに少しでもなったらうれしいです。

行動も感情も母にコントロールされていた

私は、現在70代の両親のもと、一人っ子で育ちました。

小さな頃から母は、私の言動や考え方を「こうしろ、ああしろ」と指示するところがありました。それに関する一番古い記憶は、幼稚園児の私が友達のケンカの仲介をした時のこと。それを見ていた母は、家に帰ってから「あんなことしなくていい! お前は本当に余計なことをする!」と猛然と怒ってきました。

子どもの事情を聞くとか、なぜダメなのかという説明はなく、母が「ダメ」と思ったら反射的に禁止する、という感じでした。

そういった対人関係でのことや、習い事や進路などはもちろん、泣けば「そんなの泣くことじゃない」、喜べば「こんなことで喜ぶな」と、感情までも母が決め、その通りにしないと罵られます。

口癖は「お前は子どもだから何も分からない。お母さんの言う通りにしてればいいんだ」。

自分なりに真剣に考えたこともそれで一掃されてしまうので、子どもなりに持っているプライドというものがズタズタにされるのがデフォルトでした。家庭内で常に恥をかかされる、という感覚です。

でも全部が全部というわけではなく、母が気にするところのみなので、私のやりたいこともできる環境でした。

母をイヤだと思う自分を責める日々

思春期になり私が強く反発するようになると母は、私の社会性の部分を巻き込んで「学校(や先生や友達)に言うぞ」と脅すという形で100億倍にして返してくるようになりました。脅すだけではなく実際に実行しちゃうこともあります。

ちょっとやそっとじゃ言うことを聞かない年齢になってしまった私をおさめるために、母は「恥をかかせて黙らせる」という範囲を家庭内から家庭外へ拡大したのでした。

母に反発するととんでもないことになる、という法則が、自然と人生の主軸になっていった時期だったと思います。

ちなみに父は一切ノータッチ、我関せずでした。

高校2年生の時、私は十二指腸潰瘍(主にストレスが原因とされる病)になります。医師に「受験を控えた高校生がよくなる」と言われたので親子関係が原因だとは思っていませんでした。当時も今も父は私の病気のことを知らない感じです。

母の絶好調さは私が社会人になっても衰えず、むしろパワーアップしていきました。私との信頼関係ができていないのに、私のフィールド(友人関係やバイト先)で人間関係を開拓しようとしたり、お母さんモウレツ・フィーバー状態でした。

その頃の私は「もう大人なのに、未だにお母さんのペースに合わせられず、お母さんのことをイヤだと思う自分はコドモだ」と自分を責めながら、なんとか母とうまくやっていける道を模索し続けていました。常に頭の中の大部分が母に占められている20代でした。

イラスト
イラスト=田房永子

結婚を機に絶縁、心の回復に取り組む

結婚を機に、父も一緒にフィーバー・フルスロットル状態になってしまったことで、私の中でビッグバンが起こりました。

「あ、もう、親と仲良くしなきゃとかそういう問題じゃないんだ。この人たちと関わってたら私の人生は死ぬんだ」と気づき、両親と一切の連絡を断つことにしました。

そこから親子問題について本を読んだり、勉強を始め、両親とは連絡をとらず、心の回復と自分の人生の主軸を自分自身に合わせる、ということに取り組み始めました。

その時は、親と仲良くなりたいとか全く思っていなくて、葬式があっても行くことはない、と心に決めていました。「親と仲直り」をゴールにするのではなく「自分の人生の回復」を軸に生きることにした、という感じです。

そこから5年後、子どもが生まれたことで私に迷いが生じます。

それまで「私にとって親は、声を聞いたり思い浮かべただけで具合が悪くなる相手。親であっても会う必要はない」と自分の気持ちに寄り添うことで、初めて自分自身との信頼関係を持つことができるようになっていました。

だけど自分の中に、「赤ちゃんを親に見せたい」という体の底から湧いて溢れる本能的な欲望を感じ始めました。

会いたいなら会っていいんだ

会ったら大変なことになる相手に、会いたがっている自分。

「もう会わない」と決めたのに、自分との約束を破っていいんだろうか?

どうしたらこの欲求を抑えて自分を守れるのか、めちゃくちゃ悩みまくり、通っていた精神科医の医師に相談すると、意外なことを言われました。

【医師】「会いたいなら会っていいんですよ」
【私】「ええっ?! いいんですか?」
【医師】「それが自分の気持ちなんだから、従っていいと思いますよ」
【私】「いいんだ……」
【医師】「会ったらなにかまずいことがあるんですか?」
【私】「親が、いまさらなんなんだ、ってすごく怒るかも」
【医師】「怒らない、怒らない。親のほうは、5年無視されててもなんてことないですよ。娘がヘソ曲げてるな〜、くらいのもんですよ。赤ちゃん連れてきたら受け入れますよ。もし拒絶されたら、それはそれで受け入れるしかないよね」

たしかに、すごくシンプルなことでした。

この頃の私はまだ、「親が自分に怒る」という現象を自分の問題としてカウントしていました。親と自分の境界線があいまいだったと思います。

その後、「拒絶されても受け入れる」と覚悟を決め、赤ちゃんを見せたいと親に連絡をとりました。医師の言うとおり、両親はすんなり承諾してくれました。

最初は実家の近くにも行けなかった

最初は、私が実家の最寄駅に行くこともできない(実家に近づくと体調が悪くなる)のでレストランで会ったり、徐々に時間をかけて、実家に行けるようになりました。でもしばらくは、両親と一緒にいる空間でマスクをはずすことができず(コロナになる何年も前です)、下を向いて固まってしまったり、という異常な感じでした。

しかし両親はケロッとしていて、私のそういう態度と、自分達の行いをくっつけて考えている様子は一切ありませんでした。医師の言う「娘がヘソ曲げてるな〜、くらいなもん」という表現がピッタリでした。

それ以前の私は「ケロッと両親」に対して「どうして私の気持ちを分かってくれないんだ、聞きもしてくれないんだ、知りたいと興味も持ってくれないんだ。余計なことや不必要なことばかりしてくるくせに」という猛烈な怒りを感じていました。

再会してからも、コンスタントに会うようになるまでは紆余曲折があり、母が言ったりやったりすることに絶望してまた何年も連絡を絶ったり、また会いたくなったら会ったり、をしながら、何年もかけて徐々にいまの感じになっていきました。

私が悪かったわけではなかった

私にとって大きかったのは、親と訣別している間に「自分の気持ちを自分で聞いて、自分で応える」という作業を徹底的に行なったことで私自身に変化があったことです。

親と再会するという、自分の気持ちに沿って思い切った行動をしなければいけない時、そのためのリスクも覚悟する、というのをやってみて、「自分の行動に、自分で責任を取る」という感覚を初めて体験しました。

つまり、親の反応がどんなものであっても、それを自分のせいにしない、ということです。私はずっと、親に嫌な反応をされると自分が悪いからだ、というのでおさめてきていました。

それは親自身が事あるごとに、私に「お前が悪い」と言っていたからなのですが、3人家族の中で一人娘を悪者にすることで保たれた家庭から飛び出し、「私は別にそんなに悪くなかった。ずっとおかしいと思っていた」という自分の気持ちに寄り添うことで、やっと、親の好き勝手な言動をすべて回収する役割から抜けて、親の反応は親のもの、私の気持ちは私のもの、という境界線を認識することができたのです。

自分が変わると「ケロッと両親」の印象が変わり、私の変化に影響されず、いつでもブレずに「娘がヘソ曲げてんな」の一点張りでいてくれるのもラクだな、と思うことも増えていきました。

主語を「私」にして考える

そういう中で、私が心がけている「親への要望の伝え方」では、5つのステップを踏みます。

①自分の気持ちをしっかり確認する

まず、自分の気持ちに沿った要望じゃないと意味がないので、ここが1番重要です。

例えば、いつも玄関の鍵を開けっぱなしにしている親に対して「鍵をちゃんと閉めてほしい」という要望を伝える時。

どうして閉めてほしいのか、閉めてくれないと私はどう困るのか、を徹底的に探ります。主語を「私」にして考えます。

「子どもを預けている時、玄関からいきなり知らない人が入ってくるかもしれない。実際にそういうことが起こる可能性は低いかもしれない。だけど私は安心して子どもを預けられない」

これを探っているうちに、「親がやってくれなくても他で補えることだ」と気づくこともあります。逆に「これは絶対に言わなければいけないことだ」という気迫が出てくることもあります。

②それに沿って、親が受け入れてくれなかった場合の線引きと覚悟を決める

線引きというのは、もしそれをしてくれない場合、今後の親との関係をどうするかという具体的な展望です。

親に「鍵はこれからも開けるよ」と言われたり、無視された場合。

ここで①で考えた「どうして閉めてほしいのか」が活きてきます。

例えば「それならもう預けることはできない」と自分が思うのであれば、そこで覚悟を決めなければいけません。親に預けるという、自分にとって快適な部分をあきらめる勇気を持つ、ということです。

具体的に想像し、“自分との誓い”を立てる

ここでは本気でシミュレーションして覚悟します。今まで親に預けていた時間、ベビーシッターを頼むとか、そういう具体的な想像をします。これは、自分自身との誓いみたいなものなのでとても大事です。

具体的に想像してみると、やっぱり自分の気持ちがそんなに急に切り替えられない、と思うこともあります。そうすると、親への要望の線引きが変わってきます。例えば「無視された場合は、鍵をかけやすいドアに変える提案をする」とか、そうやって、要望の内容と線引きの調整をここでやります。

③いつ話を切り出すか、メールなのか、なんとなくでもいいので計画を立てる

なるべく感情的にならず、淡々と伝えるほうが相手は聞き入れやすいものです。

1番いい方法を選びます。

④実際に伝えるときは、相手の「行動」について言及する。「人格」には触れない

あくまで「玄関に鍵をかける」という行動について、「私はあなたが鍵をかけてくれないとこのような理由で困る。だから、こうしてほしい」と、「私」を主語にして伝えます。「もしあなたがやってくれないのであれば、私はこうするしかないと思っている」という条件を伝えても大丈夫そうであれば、冷静に伝えます。そこまで切羽詰まっている、思い詰めている、という事実が伝わります。

人格に触れる例は、「お母さんっていつもそうじゃん」等です。「なんで鍵開けてて平気なの? しんじられない」とかです。人格に触れてしまうと一気に会話が破滅しますので注意。人格に触れてしまいそうになったり、向こうがこちらの人格部分に触れる発言をしてきたら、直ちに「また今度にしよう」と話を切り上げてもいいと思います。

イラスト=田房永子
イラスト=田房永子
⑤失敗しても自分を責めない

感情的になってしまったり、大きな声になったり金切り声になってしまったり、思いっきり人格に触れて大げんかになってしまうことがあっても、自分を責めないのが大事です。①と②ができただけでも前進なので、またトライしてみてください。

「あきらめず伝える」ことが「聞く力」につながる

以上が私の「親への要望の伝え方」です。

すごく大げさ、と感じる方もいると思いますが、私はこの回りくどいやり方によって、「自分が納得できるところまでやってみる」ということがものすごく重要だと思っています。

自分が40代になってみて実感するのは、年をとるごとに、いろんな面で立場や力が親より強くなってしまうってことです。

だけどやっぱり親は絶対的な存在で、傷つけたりむげに扱ったりするのは罪悪感があるし、強く言って傷つけたり悲しませたりするのはつらい。

でも、話が通じないことに耐えられない時もある。

そんな人たちに、世の中はこう言います

「この年までこれで生きてきた人に、今更『変われ』って言ったって無理」
「あきらめて流すしかないよ」
「こっちが折れるしかない」

これは「親を変化させる」を前提にした対処方法です。

親はそりゃあ、変わらないです。でも、変わらないからとあきらめることで、子どもの自分が変わる必要もなくなってしまいます。つまりそれはどういうことかというと、自分もゆくゆく、そういう親になる、ということです。

そして子どもに要望を何も言ってもらえず、一方的にあきらめられる。

「親子なんてそんなもんでしょ、それでいいじゃない」という気持ちが私にも少しはあります。親が元気だからそんなこと言ってられるんだ、という自覚もあります。

でも、私が重要視するのは「親が変わること」ではなくて、「自分が納得できるかどうか」なんです。ちゃんと自分の要望を自分で理解して伝え、拒絶されたとしても、先に覚悟をしっかりしていることで、伝えるという行為はした、という納得ができます。

その上の世代にしっかり言ったぞ、という納得感は、いつか下の世代から何かを言われた時、薄っすらとであっても「聞く力」になるはずだと思うからです。