モラ夫にとっては理にかなっている
言い分・その① 「俺は悪くない、アイツがモラ妻だ」
「あなたのしていることはモラハラだ」という指摘を妻がしたとして、その指摘自体が言いがかりであり、「モラハラ」だ。そして、そのようなことを言う妻こそが「モラ妻」である。
言い分・その② 「指導してやっている、怒らせる妻が悪い」
支配者(家長)である自分が妻を指導するのは、夫として当然のことだ。家長である以上、従属する妻子に多少厳しく言うことも許される。自分が厳しく指導するのは、妻に不足があるからだ。自分は指導している(躾けている)だけで、決して「怒っていない」が、もしも怒っているととらえられるなら、それは「俺を怒らせる」妻に責任がある。
言い分・その③ 「妻がおかしい、騙されている」
自分はよかれと思って指導しているのであって、その指導が「怖い」「辛い」のは、妻側に問題がある。それでもモラハラを訴えて、離婚調停や裁判に進むとしたら、「アイツ(妻)の頭がおかしい」か「(引き離し)弁護士が騙している」かのいずれかだ。
言い分・その④ 「よくしてやっている、謝るなら許してやってもいい」
今までの結婚生活も「よくしてやっている(た)」のであって、まったく批判されるいわれはない。それでも自分は寛大であるから、家を出て別居し、離婚を求めている妻が許しを請うのであれば、「許してやる」から帰って来てもよい。
これらのモラ夫の発言は、これまでの多くの離婚案件に関わるなかで、私が日々聞いてきたセリフである。「家長」となったモラ夫が、妻に対して家長(優越者ないし支配者)として振る舞うことは、モラ文化に照らせばごく自然なことであり、モラ夫にとってはどこにも不自然さや不当さはないことがおわかりいただけたであろう。
脳内麻薬による「モラハラ依存」
人間関係の諸問題を解決するにあたり、「怒り」は最も安易かつ効果的な方法である。多くの場合、誰かが怒れば、怒られた相手は一歩下がって丁寧に応対をするだろう。
怒りは、見る限りでは感情の爆発として表れるため、怒りの発動も感情的だと考えられているかもしれない。しかし、実はそうではない。
例えば、中年男性が列に割り込まれたとしよう。割り込んだのが女子高生であれば、彼は躊躇なく怒ることができる。しかし、割り込んだのが暴力団員風の見た目が怖い男性であれば、怖くて怒れない。すなわち、怒りを発動するかどうかは状況次第であり、人は状況を判断したうえで怒りを発動するかどうか、決めているのである。
そして、怒りに対しては「報酬」が与えられることが多い。それは相手の「謝罪」や「丁寧な応対」などであり、脳内麻薬の分泌であったりする。