安倍元首相の銃撃事件を受け、海外から哀悼の意が寄せられた。ジャーナリストの中野円佳さんは「アベノミクスをジェンダー平等に貢献したものとして位置づけ、日本国民に哀悼の意を示すコメントを見るが、本当にジェンダー平等に貢献したのか、検証する必要がある」という――。
東京・増上寺で故安倍晋三元首相に献花する人たち=2022年7月12日、東京都千代田区。
写真=AFP/時事通信フォト
東京・増上寺で故安倍晋三元首相に献花する人たち=2022年7月12日、東京都千代田区。

安倍元首相「国葬」の是非

2022年7月8日、安倍晋三元首相の殺害は、誰にとっても衝撃的だったのではないか。その後、容疑者の供述をきっかけに旧統一教会との関係が取り沙汰される反面、国葬決定が波紋を呼んでいる。

国葬決定に対して疑義が唱えられている理由は2つあり、1つは国葬を決定するプロセスの問題だ。もう1つは安倍元首相の功績に対する評価自体が分かれていることにある。

前者については、自民党政権はコロナ予備費11兆円の使途が不明など、カネの使い道については度々有耶無耶になってきた経緯があり、不透明な基準・プロセスで国費を投入することを決定するのには疑問が湧く。こちらについては野党や市民団体も声を上げており、詳しくはそちらに任せたい。

本当の「民主主義の危機」

では、後者の安倍元首相の功績についてはどうか。官房長官からは「憲政史上最長の首相であることや、選挙遊説中に銃撃を受けて亡くなったこと、国内外から幅広い哀悼・追悼の意が寄せられている」ことから判断したとの説明があった。

しかし、安倍元首相は同時に、森友・加計問題で疑惑を向けられ、その過程で公文書改竄があり、桜の会を巡り「明細書はない」等の“虚偽答弁”を繰り返したことも明らかになっている。

在任期間が長かったからといって、それが評価できることとも限らない。特定の団体の広告塔になり選挙応援を受けることによって選挙に勝ち続けることが可能になっていたのだとしたら、なおさらだ。

旧統一教会との関係について、現役の国会議員、ましてや要職に就く政府関係者がメッセージを寄せることがお墨付きを与えないはずはない。襲撃犯の行動をあってはならないものと断じることとは全く別に、宗教と政治の関係は、とりわけ相手が不適切な方法で拡大をしている組織であれば、厳しく問われる必要があるだろう。

国葬が、事件直後の選挙で快勝した与党の独断で強行されれば、これらの「今」きちんと議論されなくてはならない論点がなかったかのようにされてしまう可能性がある。それこそが「民主主義の危機」であり、野党もメディアもここが踏ん張りどころだ。

一方で、現状では、安倍元首相の政策面での評価に紙面も時間もあまり割かれていない。きちんと振り返られることのないまま評価が確定してしまう前に、自分の専門分野についてだけでも検証しておきたい。