江戸時代には女性の未婚率が2割の地域があった

さらに100年さかのぼり、江戸時代の未婚率を見てみよう。さきほどと同じ図表2の左端に「18-19c(村)」の値を示しておいた。これは江戸後期の3地域の男女別の50歳の未婚率である(江戸時代は地域差が大きいので、3地域を例示)。「東北日本」は福島県の2つの農村(1716〜1870)、「中央日本」は岐阜県の一農村(1773〜1868)、「西南日本」は長崎県の一海村(1766〜1871)の値である。もっとも低い「東北」はほぼ全員が結婚する皆婚社会であるが、「中央」は男女とも1割以上が未婚、「西南」は女性の2割、男性1割が未婚である。

100年前とはまったく違う日本がそこにある。しかも、これらの事例はいずれも村の値である。当時の村人は必ずしも生まれた場所にとどまるわけではなく、村から町へ出て行く人もおり、都市の未婚率は村よりも高かった。つまり100年前に存在した「皆婚社会」は江戸時代にはなかった。

「だれもが結婚する社会」は古くからの伝統ではない

過去100年を俯瞰すると未婚化が急激に進んだ21世紀が異様に見える。しかし200年さかのぼると、20世紀の皆婚社会が異質だったのかも、と思わされる。

だれもが結婚する社会という私たちの自画像は20世紀的ではあるが、古くからの伝統というわけではなかった。結婚や家族を取り巻く環境はいつの時代も移ろいゆくものであり、私たちが「常識」と思っているものの根っこは意外と浅い。200年たっても変わらないもの、100年で変わるもの、10年で変わるもの、現代は複雑な幾重もの層の上にある。「人生100年」と言われる今こそ、長期的な変化に思いを馳せる意味があるのではないだろうか。

平井 晶子(ひらい・しょうこ)
神戸大学大学院人文学研究科教授

1970年生。1999年総合研究大学院大学文化科学研究科単位修得退学。2002年総合研究大学院大学博士(学術)。日本学術振興会海外特別研究員・ケンブリッジ大学客員研究員を経て、2007年より神戸大学大学院人文学研究科准教授。