未婚者の9割は結婚を望んでいると言われてきたのに
今年6月に発表された『令和4年版 男女共同参画白書』では、特集「人生100年時代における結婚と家族」が組まれ、結婚や家族の現状が多様に論じられている。そのなかでひときわ注目を集めたのが「30代の4人に1人が結婚願望なし」である。これまで未婚者の9割は結婚を望んでいると言われてきただけに、未婚者の結婚願望の低さが驚きを持って受け取られた。
そもそも未婚者が結婚を望んでいるという「常識」はどこからきたのか。直接的には、国立社会保障・人口問題研究所が5年ごとに実施している「出生動向基本調査(結婚と出生に関する全国調査)」がその出所である。30年前の1992年調査でも、未婚男女(18~34歳)の90%に結婚の意思があり、最新の2015年調査でも女性の89%が、男性の86%が結婚の意思を示している。ここから現代日本は「非婚化は進んでいるが、結婚願望は依然として高い」と解釈されてきた。
設問を比較すると…
では、変化は2015年以降に起きたのか。どうもそういうことではないようだ。
図表1にまとめたように、従来の「出生動向基本調査」では「いずれ結婚するつもり」「一生結婚するつもりはない」の二択から結婚願望が導かれた。結婚願望のなさを示すには「一生結婚するつもりはない」を選ぶ必要があった。これはなかなか選びにくい選択肢ではないか。
それに対して今回の白書の基になった調査(「令和3年度 人生100年時代における結婚・仕事・収入に関する調査」)では、「出来ればしたくない」「したくない」を選択した人を「結婚願望なし」に分類している。従来の調査が、結婚することを前提に、強く非婚を主張する人をあぶり出す問いであるのに対し、今回の調査は、結婚の予定がない人への選択肢が多く(「予定はないが出来ればしたい」「どちらでもよい」「出来ればしたくない」「したくない」)、「願望なし」に至るハードルが低く設定された。
30代全体の中で結婚に消極的なのは1割
加えて、従来の調査では18歳から34歳をまとめて結果の概要を示しているが、今回の調査でははじめから20代、30代、40代に分けられている。「結婚願望なし」層は、女性20代で10%、30代で19%、40代で31%、男性20代で14%、30代で21%、40代で30%と、年齢が上がるほど高くなる。従来の調査よりも高い年齢層に注目したために「結婚願望なし」が多くなったのだろう。
つまり、「30代の4分の1に結婚願望なし」という今回の結果は、結婚に消極的な層が可視化された結果であり、結婚願望が急激に下がったわけではないと考えるのが妥当であろう。
もうひとつここで強調したいのは、「30代の4分の1」はあくまで未婚者が対象という点である。そもそも30代の未婚者は女性の3割、男性の4〜5割である。結婚意思がないのはその4分の1なので、30代全体から見れば1割にすぎない。冷静に考えると、1割の人が結婚に否定的であっても驚くことではないだろう。
ただ、いろいろな生き方があっていいと頭でわかっていながら、それでも身近な人が結婚しないでいると、それを「憂いてしまう自分」に気づく方も多いのではないか。この「私たちの感覚」はどこから来るのか。
100年前の未婚率は3%以下
まずは過去100年の未婚率の歴史をひもといてみよう。過去の結婚願望を知るのは難しいので、未婚率という実態からアプローチする。
図表2は50歳時点での未婚率の推移である。1920年から1970年までの未婚率は3%以下と極めて低い。まさにこの間の日本はだれもが結婚する皆婚社会であった。結婚しないでいる人を憂いてしまうのは、このころの価値観が今も社会の中に残っているからではないか。
その皆婚社会が崩れ始めたのは今から30年前の1990年以降であり、2000年以降に本格化した。これをバブル期に未婚化が進んだ、と理解してはいけない。1990年に「50歳の未婚率」が上がったのは、1940年代生まれ、戦中から戦後の団塊世代の人たちが皆婚社会を終わらせたと読むべきである。そして2000年以降の未婚率の急上昇も、1950年代生まれ、60年代生まれの未婚者が増加した結果であり、けっして最近の若者の傾向ではない。人生100年時代とうたうように、結婚も長い人生のなかのひとつのプロジェクトである。結婚するかしないか、それが私たちに可視化されるには時間がかかる。
江戸時代には女性の未婚率が2割の地域があった
さらに100年さかのぼり、江戸時代の未婚率を見てみよう。さきほどと同じ図表2の左端に「18-19c(村)」の値を示しておいた。これは江戸後期の3地域の男女別の50歳の未婚率である(江戸時代は地域差が大きいので、3地域を例示)。「東北日本」は福島県の2つの農村(1716〜1870)、「中央日本」は岐阜県の一農村(1773〜1868)、「西南日本」は長崎県の一海村(1766〜1871)の値である。もっとも低い「東北」はほぼ全員が結婚する皆婚社会であるが、「中央」は男女とも1割以上が未婚、「西南」は女性の2割、男性1割が未婚である。
100年前とはまったく違う日本がそこにある。しかも、これらの事例はいずれも村の値である。当時の村人は必ずしも生まれた場所にとどまるわけではなく、村から町へ出て行く人もおり、都市の未婚率は村よりも高かった。つまり100年前に存在した「皆婚社会」は江戸時代にはなかった。
「だれもが結婚する社会」は古くからの伝統ではない
過去100年を俯瞰すると未婚化が急激に進んだ21世紀が異様に見える。しかし200年さかのぼると、20世紀の皆婚社会が異質だったのかも、と思わされる。
だれもが結婚する社会という私たちの自画像は20世紀的ではあるが、古くからの伝統というわけではなかった。結婚や家族を取り巻く環境はいつの時代も移ろいゆくものであり、私たちが「常識」と思っているものの根っこは意外と浅い。200年たっても変わらないもの、100年で変わるもの、10年で変わるもの、現代は複雑な幾重もの層の上にある。「人生100年」と言われる今こそ、長期的な変化に思いを馳せる意味があるのではないだろうか。