心を揺さぶる力はあったけれど

競争者しかいない世の中で、その時点での社会の上澄みにまで浮き上がって大きなチャンスや題材を与えられる立場には、お上手なだけや政治力があるだけやファンをたらしこむだけでは、なれるものじゃない。ましてそれがナショナルイベント(国家的行事)なら、なおさらだ。本人のアウトプットが、何だかんだ結局人の心を動かすものだから選ばれるのである。どう愛されようがどう憎まれようが、スターになる人というのは、スターになれない人とは明確に違う光がある。引き摺り下ろしてみせても、引き摺り下ろした者のまぶたの裏からこそ消えない光である。

だから河瀬は、いろいろ報道されたように、確かに自分の撮りたい画のためには傲慢で乱暴でイタい面がふんだんにあるのだろうが、ただとにかくずっと一貫して自分のエゴ(映画)に対して本気(マジ)なんだろう。そのマジなエゴは、「またお得意の木漏れ日ショットだな」「この人、やたら空を見上げるな」とこちらの底意地悪い視線にも負けず、やっぱり人の視線を留めて心を揺さぶるだけの力があるのだ、そんな感想を持った。

記録映画ですら消化不良

ただ「SIDE:B」は消化不良というか、五輪の裏面の色々な事件事象を語るには監督本人の政治的理解の不足、「視線の力」不足を感じた。目の前の山盛りの材料を料理しきれない感じだ。

なんかインタビューの合間に「んふーん、うぅん」とアンアン言ってる声が聞こえるなと思ったら、取材側の合いの手、取材者河瀬の声なのである。「SIDE:B」にだけ顕著に挟まれる監督本人の存在に「それ要るかな」と思い、またその声がいつも甘えささやくもだえ声のようでなおさら「それ要るかな」と思う。

材料の山に一つひとつ取り掛かるが、あるところで臨界点を超えてしまい、カオス(混沌)の海へとダイブする。「色々あったけれど要は復興五輪で鎮魂が最大テーマだから」と終盤ひたすら祈りを捧げ、太陽に照らされる子どもたちの無垢むくな笑顔、光で半分白飛びしたような姿を何度も重ねてイメージで丸め、最後に自作自演の鼻歌「Whisper of Time」を聞かせてくれる。

あの夏は、公式の記録映画ですら消化不良なのだ。そりゃあ私たちだって、まだ噛み砕いて飲み下せるわけがない。

河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト

1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。