検索サジェスチョン「東京五輪映画 河瀬直美 無理」
「東京五輪映画」と検索窓に打ち込んだら、サジェスチョンに「東京五輪映画 河瀬直美 無理」と出た。
なんてことだ、と顔だけしかめっ面にしてみせるが、つい口元は笑って「ふっ」と声が出てしまう。
河瀬直美氏が総監督を務めた2020東京五輪の公式記録映画「東京2020オリンピック」の、アスリートを描いた「SIDE:A」が6月3日に、アスリート以外を描いた「SIDE:B」が6月24日に公開となった。確かに、両編を合計約4時間半きちんと見たご褒美的大フィナーレとなるはずの「SIDE:B」のラストで、河瀬監督渾身の少女のように切なげな鼻歌(本人作詞作曲)を聞かせられた観客はみな言葉にできない複雑な思いを抱えて帰宅し、世間の他の人たちと思いを共有せずには寝られずネットの検索窓に書き込みながら、ふと自分の気持ちを言い表す言葉を探し当てたのだろう。
「無理」と。
私はまさに「SIDE:A」、「SIDE:B」を同じ日に通しで見たクチである。カンヌに見つかりカンヌで育てられたカンヌの申し子、国内よりも欧米受けを意識した特殊なジャパエモさに定評のある河瀬直美監督の作品を褒めるタイプとは決して思えない人が「『SIDE:A』は正しく記録映画だった」とポジティブに評するのを聞いて俄然興味が湧き、慌てて見に行った。映画館を後にするとき、私の取材メモの最後の行には「これでいいのか」と少々乱暴に書き殴ってあった。
希望の数字だった「2020」
正直、昨夏の2020東京五輪は、私にとってトラウマレベルの事件だった。
2012年のロンドン五輪開会式を現地在住時代に生で見て感銘を受け、翌年に「お・も・て・な・し」が東京開催をもぎ取るのを見て快哉を叫んだ。日本への帰国後は英文政府広報誌のライターとしてクールジャパンや津々浦々のインバウンド観光の盛り上がり、雇用拡大に女性活躍を乗せて復興五輪へと向かう国内の機運を世界へ伝えてきた身としては、2020という数字は日本が何らか生まれ変わって新しい姿へ変容する予感を満々とたたえていた。2020は「日本はそこで本当のグローバル国家になれる価値観と経験を手に入れる」と、この歳でうぶにも信じてしまった、希望の数字だった。
だから武漢発のコロナウィルス感染拡大が世界に及び、東京五輪の延期が決まると、「ああ、思い描いた2020年は蒸発した」と喪失感があった。