「森喜朗発言」が世に示した自民党の女性認識

本題を説明する前に、自民党の「女性認識」がどのようなものかを世に広く示すことになった発言に触れざるを得ない。2021年2月3日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が臨時評議会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言したことである。発言の要旨は「女性は競争意識が高く、他の女性が発言するとみんな発言する。よって時間がかかる。組織委員会の女性はわきまえているから話も的を射ている」というもので、これのどこが「女性蔑視」なのかという指摘もあるが、ここで問題にしたいのは、「わきまえる」ことを女性が求められてきたことである。「わきまえる」とは「女性であることを十分に意識して出過ぎたことを言わない、やらない」と私には聞こえる。いわゆる「らしく」振る舞え論である。

東京五輪・パラリンピック組織委員会の理事、評議員らの合同懇談会で辞任を表明し、厳しい表情であいさつを続ける森喜朗会長=2021年2月12日、東京都中央区[代表撮影]
写真=時事通信フォト
東京五輪・パラリンピック組織委員会の理事、評議員らの合同懇談会で辞任を表明し、厳しい表情であいさつを続ける森喜朗会長=2021年2月12日、東京都中央区[代表撮影]

わきまえながら、男性に同化する生き方

少し話は飛ぶが、私自身がテレビ報道の世界に足を踏み入れた40数年前、与えられた役割は男性司会者の横に座ってうなずく「アシスタント」であった。硬派なニュースを扱うのは男性で、女性は天気予報や子供向けニュースを担当するのが当たり前で、女性はまさに添え物だった。つまりハナから「わきまえた」役回りしか与えられない時代だったのである。

これはあくまでも私自身の経験であるが、完璧なまでの「男社会」に居場所を創りだすために、「わきまえ」ながら、先輩男性記者たちと「同化」して見せ(女性らしく振る舞うことを封印してオジサン化して見せ)、決して先輩男性たちを脅かす存在ではないというサインを送りながら仕事をする方法論を取った。だから、森喜朗会長が会議にて前述のような発言をしたときに、そこに居た女性参加者たちは「笑って」見せたのだと、私は思っている。「わきまえる」「らしく振る舞う」ことが男性優位社会では、物事をスムースに運ぶための「対立」を避ける方法論になってしまってきたのである。