「考える時間」を見つめ直すチャンス

【斎藤】例えば、『人新世の「資本論」』(集英社新書)は決して内容的にも簡単ではなかったにもかかわらず、予想を大きく上回る人に読んでもらえました。それはコロナ禍という特殊な状況も影響していたと思っています。

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)
斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)

リアルな付き合いが激減し、生活がスローダウンすることで、人々が自分一人で考える時間が増えたからです。

【堤】パンデミックが結果的にもたらした良いことの一つはそれですね。グローバリズム信仰で効率や利便性を追求した果ての社会が、どれだけ脆弱ぜいじゃくだったかも一気に露呈して、皆がそれぞれ、考え直すチャンスがきた。

早ければ早いほどいい、便利なほど快適、と思っていたことが、立ち止まって考えてみたら、実は自分の心身に結構負担になっていたことに気づいたという声も少なくないですね。

本というのは、世の中に出るタイミングも含めてお役目を持っているんです。今だからこそ、斎藤さんが投げかけた「脱成長」や<コモンズ>、「持続可能な地球」といった大事なキーワードが、平時よりもずっと深く響いたのではないでしょうか。

斎藤幸平氏
撮影=増田岳二

人間は必要を感じたときに変わる

【斎藤】経済危機プラス環境危機という難しい時代ですが、僕は希望も持っているんです。つまり、東日本大震災の時も、今回のコロナ禍もそうですが、心底「自分たちは変わる必要がある」と思えたら、人間は生活スタイルや価値観をガラリと変えることができるとわかったからです。

いざとなれば「資本主義に対する緊急事態宣言」も、人類は出すことができる。それならば、気候変動に対しても、できうるという期待を抱くのは楽観的過ぎるでしょうか。

堤未果氏
撮影=増田岳二

【堤】いいえ、私も同じことを信じていますよ。難しい時代にこそ、私たち人間の知恵や底力が試される、惨事をチャンスに未来を変えられる。それは楽観論ではなく、人間についての哲学です。私たちは今、経済でも政治でもなく、〈人間〉について話しているんです。

9・11以降ジャーナリストとして世界の事情を追いながら、私の中で一つの確信が生まれました。グローバル企業や政府による惨事便乗型資本主義(ショック・ドクトリン)が存在するなら、「民衆による逆ショック・ドクトリン」も可能なはずだと。

その際に一番大事なことは、「多様な選択肢を持つ」ことです。例えばコロナ禍で、世の中は一気に「オンライン授業」一択になりましたよね。各国政府もOECDもこう呼びかけました。「大至急オンラインで授業ができるよう制度を変えてください、遅れを出さないように」

去年各国の教育関係者とオンライン上でやりとりしていた時、こんな話が出たんです。よく考えたら本当は、「皆で外に出て、芝生で授業をしましょう」という選択肢もあったはず。なのに誰もそれを言い出さなかったのは、何故なのだろう? と。