ミシン1台で始めたバッグ工房。日本の営業トップは還暦母

「アフリカンプリントをバッグに加工して日本で売る」というビジネスモデルが固まると、次は縫製してくれる職人探しだ。手先が器用なウガンダの女性たちと働きたいと思い、知り合いのつてで紹介してもらえることになった。

ミシンで裁縫をするウガンダ女性
写真提供=RICCI EVERYDAY
創業当初は間借りにミシン1台だけだった。

「最初の仲間は、実は縫製はできない人だったのですが、やる気がすごかった。『自分は小学校も出ていないから生活が厳しい。子どもには教育を受けさせたい』と言っていました。ウガンダでは女性の多くがそういう境遇ですが、この人がほかの人とは違ったのは、『だからサポートしてほしい』と言わなかったこと。相手が外国人だとそう言う人が多いのですが、支援頼みは一過性で、継続的な生活向上には結びつかないんです。でも彼女は子豚を安く仕入れて育て高値で売る“豚の運用”で学費を捻出するなど、自助努力をしていた。この人は賢いし、信用できると直感しました。ほかにもシングルマザーで、裁縫工場に勤めていた経験があって、自分でなんとかして子どもに教育を与えたいと思っている人など、自立心がある女性たちと出会い、一緒に小さなバッグ工房を開いたのがはじまりでした」

創業当初は間借りにミシン1台だけだった。
写真提供=RICCI EVERYDAY

土地柄、事業がうまくいっているように見える企業は、地元の人々から妬み・恨みを買いやすく、目立たないようにするのが鉄則だった。工房は人の家に昼間だけ間借りして、ミシン1台だけでこっそり始めた。実際、今に至るまで秘密結社のように看板も出さず、現地メディアへの露出も一切しないのだという。

「私はこう見えても堅実派。工房を起ち上げてすぐに起業するのは収入面に不安を感じたので、しばらくはNGOにも勤め、二足のわらじで事業を運営していたんです。でも創業メンバーにほかの職場から引き抜きの話があり、彼女が私との仕事を選び残ってくれた時点で、覚悟が決まりました。NGOを辞職しバッグ工房に徹しようと決めました」

そうなったら何がなんでも完成した布バッグを日本で売らなくてはならない。しかし仲本さんはウガンダの工房で仕事がある……代わりに日本で営業をしてくれる人材が欲しいと思い巡らしたところ、信用できる人物に思い当たった。

「静岡に暮らす母でした。還暦をすぎた専業主婦でビジネス経験はないけれど、4人の子どもを育てながら地域活動にも積極的で、わが母ながらコミュニケーション能力もマルチタスク能力も高い人。創業以来、共同代表として会社の柱になってもらっています」

2019年共同代表の母と都心で直営店をオープンした。
撮影=中村一輝
2019年共同代表の母と都心で直営店をオープンした。

母の仲本律枝さんはふたつ返事で快諾してくれた。まもなく地元静岡で近所の人を集めての頒布会、知り合いのセレクトショップへの営業と、営業担当としての母の活躍が始まった。

「いちばんすごいなと思ったのは、アポなしで静岡の伊勢丹に飛び込み営業をかけたことですね。デパートのインフォメーションで『バイヤーの人に会いたい』とお願いしたそうなのですが、受付の方が親切でつないでいただき、本当に商談が成立してしまいました(笑)。バイヤーの方も『ストーリーがあるもの、思いがあるものを探していた』と、いきなり伊勢丹デビューです!」

母の大活躍で伊勢丹のフェア、テレビ取材など、大反響となった。仲本さんが初参加した東京の展示会でも、アフリカンプリントが珍しいこと、社会的な意義があることなどで高評価を得て、100社以上から反響もあり、日本市場では好調なスタートを切った。