明治時代の“男尊女卑”から生まれた現行ルール
そもそも、わが国では前近代に10代8人の女性天皇がおられた(2代は重祚〔いったん退位した天皇が重ねて即位されること〕)。それを「男系の男子」にしか皇位継承資格を認めないルールにはじめて“変更”したのは、明治の皇室典範だった。その背景には、当時の“男尊女卑”の風潮が強く影響していた。
しかもそれは、正妻以外の女性(いわゆる側室)のお子様(非嫡出子)やその子孫(非嫡系)にも皇位継承資格をゆるやかに認めるルールがあって、はじめて「持続可能」な仕組みだった。
ところが現在の皇室典範ではもちろん、側室制度を前提とした非嫡出子や非嫡系による継承の可能性は認めていない。つまり継承資格の「男系の男子」限定は、今や持続“不可能”なルールに変質している。にもかかわらず、そのような欠陥を抱えたルールをいつまでも金科玉条のように扱って、“愛子天皇”待望論を封殺することの方が、かえって皇室の将来を危うくするのを知るべきだ。
「上皇陛下も“愛子天皇”をご希望」との証言
世界中の君主国の中で、今も「一夫多妻」を認めるサウジアラビアやヨルダンなどを除き、日本以外に「男系の男子」という特殊な制約を維持しているのは、人口わずか4万人弱の“ミニ国家”リヒテンシュタインぐらいだ。同国は1984年まで女性の参政権が否定されていたような国だ。
そんな明らかに「時代遅れ」なルールにしがみついて、皇室自体の存続を危険に晒してまで“愛子天皇”の可能性をかたくなに排除しなければならない理由が、一体どこにあるのだろうか。
上皇陛下ご自身が「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい」と願っておられるとの重大証言もある(奥野修司氏『天皇の憂鬱』新潮新書)。匿名の証言ながら、このことを伝えた奥野氏のこれまでのジャーナリストとしての堅実な仕事ぶりから、ほぼ事実と信じてよいだろう。
小泉純一郎内閣の時に設置された「皇室典範に関する有識者会議」での検討では(私もヒアリングに応じたが)皇位の安定継承のために「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(報告書20ページ)との結論に達していた。この新しいルールを現在の皇室に当てはめると、どなたが次の天皇になられるか。皇位継承順位の第1位は「皇長子」(皇室典範第2条)つまり天皇の最初のお子様なので、敬宮殿下ということになる。
しかし政府・国会の不作為によって、制度改正がいたずらに“先延ばし”され、今の皇室典範のルールがそのまま維持された場合は、どうか。敬宮殿下はご結婚後、皇族の身分を離れ、一般国民の仲間入りをされることになる。