昨年12月に20歳を迎えた愛子さまは、女性であるがゆえに、生まれたときから「将来は天皇になるかもしれない、ならないかもしれない」という立場にある。神道学者で皇室研究者の高森明勅さんは「(愛子さまの)ご将来をいつまでも宙ぶらりんなまま放置する残酷さに、そろそろ人々は気づく必要がある」という――。
上皇ご夫妻にあいさつするため、高輪の仙洞仮御所へ向かわれる天皇、皇后両陛下と長女愛子さま。2022年1月1日午後、皇居・乾門
写真=時事通信フォト
上皇ご夫妻にあいさつするため、高輪の仙洞仮御所へ向かわれる天皇、皇后両陛下と長女愛子さま。=2022年1月1日午後、皇居・乾門

国民の8割は“女性天皇”を支持

3月17日に行われた敬宮としのみや(愛子内親王)殿下の記者会見は、幅広い国民に清らかな感動を与えた。

ご誠実さとユーモア、穏やかで優美な雰囲気が、ご会見を印象深いものにした。国民が皇室に対して漠然と抱いているイメージや憧れを、目に見えるお姿、挙措動作によって、鮮やかに具現化された。これぞ“皇室直系”との感を深くした人も少なくなかっただろう。

もともと国民の間には、「女性天皇」という選択肢への支持は高い。たとえば令和3年(2021年)4月に共同通信が実施した世論調査では、賛成が87%、反対が12%という数字だった。そのような素地があった上で、光輝くようなご会見が行われた。そのために、“愛子天皇”待望論がますます高まったのは、ある意味では当然とも言えよう。

これは誰彼と比較しての話ではない。天皇陛下のお子様が、お健やかでご聡明というレベルを超えた、まばゆいばかりの“輝き”をお放ちになった。それを目の前で拝見した国民として、ごく自然な反応だろう。

“愛子天皇”待望論は「一時的なもの」ではない

人々は、昭和天皇から上皇陛下が受け継がれた高貴な精神が、天皇陛下からさらに敬宮殿下へと、しっかり継承されているのを自ずと感じ取った。その結果、単に「女性だから」という“だけ”の理由で、天皇陛下のお子様なのに皇位継承のラインから外される、現代の価値観とも国民多数の心情とも“かけ離れた”今の皇室典範のルールに、強烈な違和感を覚えることになった。

一部には、“愛子天皇”待望論について「無責任な大衆の感情的で一時的な反応にすぎない」という声もあるようだ。しかし、これまでの各種世論調査の結果では、「女性天皇」という選択肢への支持は一貫して7割から9割前後という高い水準で推移している。決して“一時的”とは言えない。

また、敬宮殿下の先日のご会見でのご様子や、ご成年行事に際して恒例となっていたティアラの新調をコロナ禍に苦しむ国民へのご配慮から見合せられたことなどから、天皇陛下のお子様でいらっしゃる事実を踏まえ、男女の性別に関わりなく、「このような方こそ天皇になっていただきたい」と願うことは、国民として至って真っ当な感性ではあるまいか。

明治時代の“男尊女卑”から生まれた現行ルール

そもそも、わが国では前近代に10代8人の女性天皇がおられた(2代は重祚ちょうそ〔いったん退位した天皇が重ねて即位されること〕)。それを「男系の男子」にしか皇位継承資格を認めないルールにはじめて“変更”したのは、明治の皇室典範だった。その背景には、当時の“男尊女卑”の風潮が強く影響していた。

しかもそれは、正妻以外の女性(いわゆる側室)のお子様(非嫡出子)やその子孫(非嫡系)にも皇位継承資格をゆるやかに認めるルールがあって、はじめて「持続可能」な仕組みだった。

ところが現在の皇室典範ではもちろん、側室制度を前提とした非嫡出子や非嫡系による継承の可能性は認めていない。つまり継承資格の「男系の男子」限定は、今や持続“不可能”なルールに変質している。にもかかわらず、そのような欠陥を抱えたルールをいつまでも金科玉条のように扱って、“愛子天皇”待望論を封殺することの方が、かえって皇室の将来を危うくするのを知るべきだ。

「上皇陛下も“愛子天皇”をご希望」との証言

世界中の君主国の中で、今も「一夫多妻」を認めるサウジアラビアやヨルダンなどを除き、日本以外に「男系の男子」という特殊な制約を維持しているのは、人口わずか4万人弱の“ミニ国家”リヒテンシュタインぐらいだ。同国は1984年まで女性の参政権が否定されていたような国だ。

そんな明らかに「時代遅れ」なルールにしがみついて、皇室自体の存続を危険にさらしてまで“愛子天皇”の可能性をかたくなに排除しなければならない理由が、一体どこにあるのだろうか。

上皇陛下ご自身が「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい」と願っておられるとの重大証言もある(奥野修司氏『天皇の憂鬱』新潮新書)。匿名の証言ながら、このことを伝えた奥野氏のこれまでのジャーナリストとしての堅実な仕事ぶりから、ほぼ事実と信じてよいだろう。

小泉純一郎内閣の時に設置された「皇室典範に関する有識者会議」での検討では(私もヒアリングに応じたが)皇位の安定継承のために「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(報告書20ページ)との結論に達していた。この新しいルールを現在の皇室に当てはめると、どなたが次の天皇になられるか。皇位継承順位の第1位は「皇長子」(皇室典範第2条)つまり天皇の最初のお子様なので、敬宮殿下ということになる。

しかし政府・国会の不作為によって、制度改正がいたずらに“先延ばし”され、今の皇室典範のルールがそのまま維持された場合は、どうか。敬宮殿下はご結婚後、皇族の身分を離れ、一般国民の仲間入りをされることになる。

日本国会議事堂
写真=iStock.com/istock-tonko
※写真はイメージです

“引き裂かれた未来”抱える愛子さまと悠仁さま

「天皇か、一般国民か」――。目がくらむような“引き裂かれた”未来が、敬宮殿下の前に長年にわたって横たわり続けてきた。ご自身の努力が及ばない理由で(皇室典範の改正は国政事項だから)、ご自分の未来が不確定な宙ぶらりんの状態のまま、敬宮殿下はこれまですごしてこられたことになる。当事者の立場になって考えると、残酷この上ない話だろう(敬宮殿下の未来が不確定ということは、秋篠宮殿下や悠仁親王殿下の未来も不確定であることを意味する)。

さらに、今年の1月に政府が国会の各党・会派での検討に委ねた「皇族数の確保」策では、内親王・女王はご結婚後も皇族の身分を保持される一方、ご結婚相手もお子様も皇籍を取得できず、一般国民として位置づけられるという“家族の一体性”をぶち壊す無茶苦茶なプランになっている。

“愛子天皇”の可能性も織り込んだ子育て

では、そのように敬宮殿下のご将来が不確定な状態にあって、天皇陛下はどのような方針でご養育に当たられたのか。これについて、共同通信の大木賢一記者が次のような記事を書いておられる(47NEWS3月30日、10時02分配信)

「天皇陛下は05年(平成17年)の記者会見で愛子さまの養育方針について質問され、『どのような立場に将来なるにせよ、1人の人間として立派に育ってほしいと願っております』と答えた。

当時は、小泉政権により女性天皇実現を目指した皇室典範改正が議論されていた時期。愛子さまが『将来の天皇』となる可能性も考えられていたことがうかがえる」

たしかに「どのような立場に将来なるにせよ」というのは、現行典範の規定とは「違う“立場”になられる」可能性を考慮しておられなければ出てこない表現だろう。

天皇陛下はこの時のご会見で、アメリカの家庭教育学者のドロシー・ロー・ノルト(ホルト)の「子ども」という詩を紹介されている。その上で、「家庭というコミュニティーの最小の単位の中にあって、このようなことを自然に学んでいけると良いと思っております」とおっしゃっていた。その一部を掲げる。

「批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる

皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる

しかし、激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる

寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる 

友情を知る 子どもは
親切を おぼえる

可愛いがられ、抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を
感じとることを おぼえる」

バッシング、不登校…辛い経験

敬宮殿下のこれまでの歳月には、お辛いご経験がいくつもあった。何より、母宮の皇后陛下が皇太子妃だった平成時代には、週刊誌などから理不尽なバッシングを受けられ、ご療養生活は今も続いている。このことは、最も悲しいご経験だろう。

そのバッシングが敬宮殿下にまで“飛び火”したような場面さえあった。また不登校の時期や、痛々しいほどお痩せになった時期もあった。

「多くの学びに恵まれた色濃い歳月」

しかし、昨年12月1日に発表された「ご成年に当たってのご感想」では、次のように振り返っておられた。

「これまでの日々を振り返ってみますと、いろいろな出来事が思い起こされ、多くの学びに恵まれた色濃い歳月であったことを実感いたします」

20歳になったばかりの若い女性が、「これまでの日々」を顧みて「“色濃い”歳月」などと表現することはまれではないだろうか。「多くの学びに恵まれた」とまで述べておられる。驚くほどの心の強さと謙虚さを兼ね備え、苦しみを成長の糧へと転化できる生命力をお持ちであることが拝察できた。先日のご会見は、その延長線上での“輝き”だった。

その“輝き”の源泉は、ご両親のあふれるような愛情だろう。「可愛いがられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる」――。まさにそのようにして成長されたお姿が、あのご会見で国民の前に示されたのだった。

称号と名前に込められた“願い”

天皇陛下の敬宮殿下へのご養育方針が最も端的に表れているのは、他でもない「敬宮」というご称号と「愛子」というお名前だ。

ちなみに、「秋篠宮」とか「常陸宮」という独立した世帯を営む皇族男子に授けられる“宮号みやごう”とは異なる「敬宮」のような“ご称号”は、直系の皇族にだけ与えられる。したがって、秋篠宮家など各宮家のお子様方は男女の区別なく、お持ちでない。

敬宮殿下のご称号とお名前の由来については、天皇陛下ご自身が、殿下ご誕生の翌年(平成14年〔2002年〕)の記者会見で、次のように説明されていた。

「子供は自分の名前を選ぶことはできませんし、また、名前はその人が一生ともにするもので、私たち2人(天皇・皇后両陛下)も、真剣に(漢文学や国文学の専門家が提出した)それらの候補の中から選びました。選考に当たっては、皇室としての伝統を踏まえながら、字の意味や声に出した響きが良く、親しみやすい名前が良いというふうに考えました。…候補の中では、孟子もうしの言葉が内容としてもとても良いように思いました。…人を敬い、また人を愛するということは、非常に大切なことではないかと思います。そしてこの子供(敬宮殿下)にも、この孟子の言葉にあるように、人を敬い、人からも敬われ、人を愛し、人からも愛される、そのように育ってほしいという私たちの願いが、この名前には込められています」

出典の『孟子』(離婁章句下りろうしょうくのげ)に次のような一節がある。

「人を愛する者は、人つねこれを愛し、人を敬する者は、人恒に之を敬す」

天皇・皇后両陛下のお側で、長年にわたってご薫陶を受けてこられた敬宮殿下は、まさに両陛下が願われたような、国民からの敬愛をご一身に受けられ、国民に希望を与えられる成年皇族に成長された。そのご将来をいつまでも宙ぶらりんなまま放置する残酷さに、そろそろ人々は気づく必要がある。