75歳でケアマネの資格取得

I病院グループにいた75歳のとき、ケアマネジャー(介護支援専門員)の資格を取得しました。三重県では最高齢だそうです。

ケアマネジャーは2000年の介護保険制度の導入にあたってできた資格です(試験は1998年から)。介護が必要な方のケアプランを作成し、介護サービス全体を統括する専門職です。周囲で取ると言う人も多く、自分も介護施設に勤めているので、取っておこうと思いました。

80代のころはバイクで通勤していた。
写真提供=筆者
80代のころは原付バイクで通勤していた。

70歳を過ぎて覚えも悪くなりましたが、最後の資格試験として挑戦してみることに。それに、たとえ試験に落ちても、介護のことを勉強できるなら、悪くないなと思いました。

でも、一番最初に受けたときは、少し軽く考えていました。保健医療に関わる知識も出題されるのですが、そちらは看護師として専門ですから、わかっているつもりでいました。そうしたら、不合格に。これはいけないと、翌年の2回目は半年間勉強しました。

仕事を休んで勉強しようと思ったけれど、「合格して当たり前」と言われるのは悔しいから、昼間は仕事をして、勉強は家に帰ってきてから。子どもたちは独立していて主人と2人暮らしでしたので、夕食の支度や片づけをした後、朝まで勉強していました。

そのときはまだ、フルタイムで働いていて、仕事は絶対に休まないと決めていました。

家に合格通知が届いたとき、主人が職場にわざわざ電話をしてくれました。私が夜中まで勉強していたから、気にしてくれていたよう。日頃は、とくに声をかけてくれることもなかったのですが、合格を一緒に喜んでくれたのはうれしかったですね。

その主人は、私がケアマネジャー資格を取得した翌年、亡くなりました。

この職場でケアマネジャーの仕事をしたのは、ほんの少しだけでした。でも、資格は持っていても邪魔になりません。長く働いていると、いつか役に立つことがあります。

いちしの里に入ってから、数カ月ケアマネジャーの仕事をしました。ケアマネジャーの経験がある同僚の橋口さんに教えてもらいながらしたことは、いい経験になりました。

3日家にいると仕事に行きたくなる

80歳を過ぎた頃、I病院グループ内で責任者をしていたのは、グループホームでした。

グループホームは、認知症の高齢者が少人数で共同生活する介護施設です。入居者は6人の小さな施設でしたが、職員6人でシフトを回し、食事作りや入浴介助などを行います。責任者の仕事もしながら自分もシフトに入るのは、体力的にも大変になってきました。

勤務のシフトを作るのは責任者の仕事なのですが、やりくりが難しく、スタッフの希望を優先にすると、自分が犠牲になることもありました。当直をし、昼間の勤務をし、10日間くらいぶっ通しで働くなんてこともよくありました。

きちんと仕事をしたい気持ちはありましたが、だんだん年齢がついていかなくなりました。後任が見つかったことを機会に、83歳で退職しました。

しばらくはうちにいましたけど、主人はおらんし、ひとりでうちにいても仕方がない。小さい老健から仕事を頼まれたりして、パートでちょこちょこと働いていました。

仕事をしないで家にいると、自分ひとりが取り残されているような感じがしました。3日家にいると、働きたいと思ってしまう。外で働く癖がついているんでしょうね。

そして、88歳から、いちしの里でお世話になっています。気づいたら9年、97歳の今まで働き続けていました。

「老後」「引退」という発想がないんですね。でも、近頃は、体が言うことを聞かんし、そろそろ老後を考えなあかんかも、なんて思っています。

年金もいただいているので、贅沢しなければ、働かなくても暮らしていけます。でも、労働してお給料をもらえるのは、純粋にうれしい。いちしの里からいただいたお給料で、孫の学費を出したりもできました。

それに、仕事は疲れますけど、うちに帰ったときの充実感は、何物にも代えがたい。「健康で動けた」という充実感。これは、ずっと働いているからこそ、味わえるものですね。

池田 きぬ(いけだ・きぬ)
看護師

1924(大正13)年、三重県生まれ。地元の女学校を卒業し、赤十字の救護看護婦養成所へ進む。1943年、19歳のとき、海軍に療養所として接収された湯河原の旅館に、看護要員として召集される。終戦後、地元に戻り結婚。長男・次男を出産。中部電力津支店の保健婦として勤務。その後、精神科の県立病院で副総婦長を約20年。最後の1年は総婦長に。定年退職後、訪問看護や介護老人保健施設、グループホームなどの立ち上げにも関わった。75歳のとき、三重県最高年齢でケアマネジャー試験に合格。88歳のとき、サービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」に看護師として勤務。現在も週1~2回の勤務を続ける。2018年6、75歳以上の医療関係者(当時)に贈られる第4回「山上の光賞」を受賞。