総婦長になっても、現場主義を通した

入院患者さんの中に、同じ部屋にベッドを2つ並べているご夫婦がいました。私がたまたま病棟を回っているときに、奥様から「主人のオムツは私が替えています」という話を聞かされました。

池田きぬ『死ぬまで、働く。』(すばる舎)
池田きぬ『死ぬまで、働く。』(すばる舎)

まだまだ完全看護が行き届かなかった時代。ご主人に比べて、奥様は病気の進行がゆるやかだったとは思いますが、やはり入院しているのだから1人の患者さんです。奥様に、ご主人の看護をさせるのはいけないなと思い、看護の問題点として拾い出すことができました。

そんな私の仕事を見て、スタッフの中には「総婦長さんは、病棟には行かずに部屋にいてください」と言う人もいました。

でも私は、「スタッフの感覚と少しずれているかもしれないけれど、それでいいわ」と思って、現場主義を通しました。机に座っているだけでは、病棟や看護の問題点を引き出すことはできなかったからです。

でも、一方で、「そう考えているスタッフもいるんだな」と、自分とは違う考え方があることは心に留めていました。

いくつかの病院を経験して、組織は大きくても、小さくても、いろいろな問題があることもわかりました。前の職場と比較して、その組織の良さや悪さもわかりました。今までの経験を生かして、問題に対応できるようになりましたね。

70代で介護施設の立ち上げに参画

70歳になる前、10年近く勤めたS病院の総婦長を退職しました。その後、I病院に併設された新しい老健で、責任者として働き始めました。ここでの仕事で、初めて高齢者福祉に関わることになりました。

I病院は当時、病院グループ内で老健や特別養護老人ホーム(特養)、グループホームなど、介護施設を次々と立ち上げている時期でした。その立ち上げのお手伝いに参加した形です。

80代前半までの10数年、グループ内のいろいろな施設で働きました。

私は、認知症の人のお世話をするのも初めて。新しい施設だったので、スタッフもまだ慣れていません。

認知症は内臓の病気などとは違い、体は元気なので、あっちこっちと動きます。人の物を持ってきてしまったり、逆に自分の物を置いてきたりなど、認知症特有の行動にスタッフみんなで目を白黒させて、対応していました。

でも、おかげで認知症がどういうものかがわかりました。仕事をしながら、勉強をさせてもらいました。