やりたいことを諦め、青春もなくさびしさを抱えていたおかん

おかんとは適度に物理的な距離をとり、私がイヤじゃないところで妥協して、なるべくストレスにならないようにしています。近所に住んでもらい、別居に納得してもらえたのはよかったのですが、今度は私の都合にお構いなく、家に来るようになりました。娘にもプライバシーがあることが理解できないようです。「娘とはいえ、あなたの所有物ではないのでいきなり入ってこないでね。チャイムを鳴らすとか、前もって連絡してから来てね」と根気よく何度も説明し、ようやくわかってもらいました。愛すべき人ですがイライラの原因でもあるんです。たとえ間違っていても偏っていても、母親ですから受け入れてうまくやっていくしかないんですよね。

こたつの上に立つエリーさん。1歳くらいの頃。
こたつの上に立つエリーさん。1歳くらいの頃。

おかんは早くに父親を亡くして苦労したようです。自分の子ども時代のことはあまり話したがらないのですが、家では何事も3つ上の兄が優先で、最初から自分のやりたいことなどは諦めてしまった人生だったようです。若い頃から働いていて、英文タイプの仕事をしていたのですが、青春がなかった感じがするんですよね。母親は仕事で忙しいし、子どもの頃から甘える相手がいなかったのでしょう。

結婚して家庭を持ち、生まれた私を初めて抱いたときに「この子は孤独じゃなくていいなぁ、うらやましいなぁ」と思ったそうです。ずっとさびしさを抱えて生きてきたんでしょうね。そんな言葉を聞いてしまったら、この人を幸せにするのは私しかいないのかと……。おかんの幸せを願ってはいますが、それが重荷でもあるんです。

亡くなった私の父は亭主関白で、晩ご飯のおかずの決定権も、テレビのチャンネル権も握っていました。家でも仕事をしていたし、出張も多くて、割と家にいない人でした。いわゆる男尊女卑で「女は専門学校でも行って嫁に行け」という主義だったので、私の大学受験にも大反対で学費を出してくれませんでした。それでもおかんだけは応援してくれて、アルバイトをかけ持ちしたり、ヘソクリをくずしたりして私の学費を工面し、浪人時代と学生時代を支えてくれました。

おかんの香り=湿布のニオイ。子どもの頃は、そのニオイを嗅ぐと、なぜか安心していましたね
おかんの香り=湿布のニオイ。子どもの頃は、そのニオイを嗅ぐと、なぜか安心していましたね

私には「やりたいことをやれ」と言っていたけれど、おかんは趣味もなくひたすら働いていた印象です。小さい頃、おかんが仕事をしている足元で遊んでいた記憶もあるし、仕事先の近所の喫茶店に1人で置いていかれ何時間も待っていたこともあります。保育園では自分だけお迎えが来なくて不安でした。今でいう「ワンオペ」で子育てと仕事、家事をこなし、苦労したと思います。あの頃のおかんはよく腱鞘炎けんしょうえんになって湿布をしていました。いつも湿布薬のニオイがしていて、嗅ぐとなぜか安心した記憶があります。