日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した作家・茜灯里さんは、キャリアのスタートこそ新聞記者でしたが、作家になるまでに奇想天外なキャリアチェンジを何度も行ってきました。それでも彼女が「道を踏み外した」と考えることはまったくなかったのには理由がありました――。
乗馬する茜灯里さん
写真=本人提供

「科学者」ではなく「科学を伝える人」になる

「科学コミュニケーション」を教える大学教員として、馬術大会優勝の腕前をもつ獣医師として、さらに著作『馬疫』で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した作家として、注目を集める茜灯里さん。その幅広い肩書の奥には、地位や名誉に執着せず、ただ自分軸で生きることを追い求める素直な魂があった。正解を求めるのではなく、来た道を正解にする――。そんな女性の「作為なき人生の幸福論」に迫る。

――茜さんは、新聞記者、宝石鑑定鑑別機関の研究員、フリーの科学ジャーナリストなどを経て、現在は大学教員、獣医師、小説家と三足のわらじを履いて活躍していらっしゃいます。「科学コミュニケーション」を専門とし、教鞭を執るだけでなく、一般向けの科学イベントも手がけているとか。「科学コミュニケーション」とはまだ聞き慣れないジャンルですが、そこに踏み出すきっかけはあったのでしょうか。

【茜灯里さん(以下、茜)】大きな転機となったのは、2002年、故・小柴昌俊東大名誉教授のノーベル物理学賞受賞です。当時、東京大学大学院理学系研究科・地球惑星科学専攻に在籍していた私は、記者経験を買われて、小柴先生のインタビューと記念本の執筆を行うことになりました。「愛する科学の面白さを伝えること」を信条に、研究と執筆を並行して行うことを意識してきましたが、改めてその作業を経て、強く再認識したのです。「私は、科学を媒介にして社会とつながりたいのだ」と。

――進むべき道が明確になったのですね。

気晴らしで始めた馬術が運命を変えた

【茜】科学の素晴らしさを人に語るとき、またそれを聞いてくれた人々の表情がパッと輝くとき、私は大きな喜びを得るのだと実感しました。生きている間にできることは限られているかもしれないけれど、そのフィロソフィーを生徒や子供たちに伝えていけば、2が4になり、8にもなる。科学に寄り添うだけでなく、これからは人に寄り添う。そう自覚するようになり、さらに視界が開けていきました。

――ちょうどそのころ、東京大学大学院にて「科学者と世間を結びつける人材を育成する」というプログラムが発足し、「科学コミュニケーション学」の助手として、茜さんの大学教員人生がスタートすることになります。

【茜】天職と感じて仕事に打ち込む日々でしたが、激務に次ぐ激務で体調を崩してしまいました。そんなとき、気晴らしで始めた馬術が、私の運命を大きく変えることになります。始めて1年ほどで海外を転戦するほどになった私は、馬の素晴らしさに魅了されていました。そこで獣医師免許を取得するべく、大学の非常勤講師と学生の二足のわらじになって、東京大学農学部獣医学課程に学士入学することにしたのです。