「女性が結婚しなくても自立できる社会をつくります!」
しかし、時代は変わりました。今は結婚しないまま、一般職のままで50代を迎える女性も珍しくありません。近年では、そうした女性たちの老後の貧困問題が懸念されています。
「男性は総合職、女性は一般職」が当たり前だった時代に一般職として就職した、ただそれだけで長年働き続けても給与が低いままで、老後は生活費にすら事欠くようになってしまう。これは、同世代の正社員男性にはほぼ起こらない問題です。
これは女性差別にほかなりません。もし僕が野党だったら、「ジェンダー平等を達成します」ではなく「女性差別を解消します」と訴えます。女性が結婚しなくても経済的に自立できる、老後も一人で食べていける社会をつくると伝えるのです。
そうすれば女性は、男女の賃金格差は自分の将来に直結する問題なのだと捉えてくれるはずです。経済的に自立できている人でも、賃金格差をおかしいと思っている人、キャリア形成に男女差があると感じている人はたくさんいるでしょう。
“意識高い系”の言葉では響かない
思うに、野党が「ジェンダー平等」という言葉を使ったのは、これがSDGsの目標に入っているからではないでしょうか。SDGsに目を向けること自体はいいと思いますが、この言葉を使えば何か新しいことをやっているように見えるだろう、意識が高く見えるだろうと考えた可能性もあります。
でも、ここは泥臭く「女性差別」という言葉を使うべきだったのではと思います。そして賃金格差は女性を困らせる問題なのだと、はっきり伝えてほしかったですね。
それをきれいな言葉でまとめてしまったがために、マスコミに「ほら、国民はジェンダー問題に関心ないでしょ」などと言われることになってしまった。本当に残念です。
野党の女性候補の中には、ジェンダー平等に関連して、女性雇用の現状や男性が大黒柱とされてきたことの弊害などをきちんと訴えていた人もいました。ジェンダー問題のこうした基本的な視点を、野党の人たちが皆で共有していたら、結果は違ったものになったかもしれません。