コミュニケーションがうまく取れないのは自分が話す日本語の問題!?
——どうして「やさしい言葉で伝える」トレーニングが必要なのでしょうか?
【ウィルソン雅代さん(以下、ウィルソン)】日本語を母語として使っている人は、日本語を外国語として使っている人の感覚を想像しにくいものです。そうすると、どうしても自分たちと違う日本語を使う人が異質に見えるようです。文法的には完ぺきでも、少しアクセントに特徴があるだけで「片言だ」と評価したり、コミュニケーションに問題が起きるエラーは犯していないのに、「間違えた」「君の日本語はまだまだ」と評価を下してしまう人もいる。
もし、コミュニケーションがうまくいっていないのだとすれば、それは日本語学習者だけの責任ではありません。「自分が話している日本語はどうなのか?」ということに目を向けてほしい。それを「やさしいコミュニケーション」トレーニングでは重視しています。
——日本語を母語とする人の場合、自身は気づいていないけれど、日本語学習者には難しい日本語というのは、たとえばどのようなものですか?
【ジョン・ヴァンソムレンさん(以下、ジョン)】主語がないセンテンスで話されると、難しいですね。
「私はウナギ」で通じる日本語の複雑さ
【ウィルソン】たとえば、日本語の敬語には、尊敬語、謙譲語、丁寧語があり、それぞれ動詞の文末につくことで、主語が誰であるのかを補えます。
たとえば、「食べる」は尊敬語になると「召し上がる」に変化し、主語は相手であることを補うことができる。でも日本語学習者にとってとっさに理解するのは難しく混乱してしまう。それを「○○さんが△△しました」という構文にするだけで、理解度はぐんと上がります。
「私は背が高い」という文章があると、日本語母語の私たちは「は」が主語なのか「が」が主語なのか、深く考えたことはないかもしれませんね。
——あまり考えたことがないかも……。
【ウィルソン】そうなんですよね。飲食店で「私はウナギ」と注文しても通じますが、これは「ウナギ文」と呼ばれます。このウナギ文もまた、日本語学習者には奇妙に感じるセンテンスで日本語の複雑なところです。
あと、日本語はオノマトペ(擬音語・擬態語)が難しいと言われる言語でもあります。車を「ブーブー」と言ったり、ネコを「ニャンニャン」と言ったり。これは子供が日本語を習得するときは役に立つのですが、日本語学習者にはわかりにくいです。日本語ができない相手を子供扱いする人が結構いるので、注意が必要です。