結果を出したのに認められない…
20代の頃、寝具メーカー「エアウィーヴ」のPR広報として、無名だったマットレスを一躍ヒット商品に押し上げるのに貢献した笹木さん。会社が急成長していく姿を目の当たりにし、PRの力を実感するとともに、1つの大仕事をやりきったという達成感を味わった。
ところが、会社は急成長に伴ってより高いレベルの広報を求めるようになり、外部から人材を招聘。笹木さんの上司にあたるポジションにそうした人材が着任した。その方針に対して、「今なら経営者としてよくわかりますが、当時は若かったので『私を認めてくれていないのかな』とがっかりしてしまった」と振り返る。
専業主婦になるか転職するか
少しずつモチベーションが下がり始めたところへ、出産・育休が重なった。約1年後に職場復帰したものの、優秀な後任スタッフがいて居場所が見いだせず、本社も愛知から東京へ移転。笹木さんは愛知在住のまま時短勤務を続けていたが、育休前のように全力投球できる場所が見つからず、不完全燃焼の状態が続いた。
「仕事も子育てもどちらも中途半端になってしまったんです。大泣きする息子を、後ろ髪を引かれる思いで預けて出社しても、それでいいんだと思えるほどのやりがいが感じられない。専業主婦になるか、全力でできる仕事に転職するか、どちらかを選ぶしかないと思いました」