両親と一緒に暮らした日は長くなかった
86歳で今なお現役ヘルパーとして働く千福さんが大切にしているのは、相手の心に寄り添うこと。それは、幼い頃から自然と身についてきたのだろうと顧みる。
「15歳のときに父を亡くし、母が再婚しましたけれど、それまでも一緒に暮らした日はあまり長くなかったんです。よその家で預かってもらうことが多くて、このおばちゃんはこんな風に思ってはるのや、と顔色をうかがっては、子どもなりにできることをすると喜んでもらえる。私は小さいときから大人の中で過ごしてきたから、わりと人の心を読み取れる気がするんです」
大阪市の淀川区で生まれ、長屋暮らしでにぎやかに過ごした少女時代。いろいろ仕事を経験し、工業用炉の設計会社に勤めていたときに24歳で結婚した。
夫は板金業を営んでいて、事務作業を手伝いながら家業を支えていく。工場で働く職人たちの食事をつくり、住み込みの人の世話もあった。2歳違いで授かった3人の子どもを抱え、「たいてい誰か一人背中におんぶしながら、何でもやってました」と懐かしむ。
日曜日も休みなく働く
やがて60歳を過ぎてからは、娘が開業した薬局も手伝い始める。日曜も休みなく働いたが、苦にはならなかった。だが、そんな矢先、夫が脳内出血で突然倒れてしまう。幸い一命はとりとめたものの、脳機能を損傷した夫は要介護状態に。71歳の夫と68歳の妻、退院後に続く老々介護の日々は苛酷だった。
「夫は自分の名前や年齢、住所もわからなくなりました。それでも身体はちゃんと動くのでよけい困るんです。勝手に家を出ていくので、目を離せません。車の運転もできなくなったのに、私がキーを渡さないと外で暴れ出す。夜中に起きて『ご飯は?』と言うこともあり、食事を出さなかったら怒ります。何を言ってもわかってもらえないのはしんどかったですね」
薬局の仕事もあった千福さんは訪問介護を頼み、担当のケアマネジャーにとても良くしてもらったという。デイサービスに行っても「ここは嫌や」と辞めてしまう夫の気持ちを受けとめ、次のところを探して連れていってくれる。いつも笑顔をたやさず、支えてもらえることがありがたかった。
「でも、まさかその後、私もこういう仕事をするとは思っていませんでしたけど(笑)」