私たちの価値観を上書きする存在

豊かさが前提の社会で育つ、ITが当たり前の社会で育つとは、こういうことだ。もちろんこの四半世紀、日本は自分たちが期待していた豊かさとは違う時代を経験してきた。でもその間、政治や経済は「ITスキルを!」「語学力を!」「知識偏重ではないクリエーティブな発想力を!」と求め、教育や家庭や地域はそういう需要に応え、少子高齢社会日本はこういう子どもたちを大事に育ててきたのだ。

四半世紀越しの答えが、SDGsという新たなグローバルルールとともに社会人となった、「今の私たちの価値観やありようを上書きする、彼らという存在」である。

コロナ禍のほんの少し前、ウェブカルチャーとライティングを教える大学での講義で、私は当時ウェブをにぎわせていた話題を扱ったあと、こう言った。「#metoo運動で声を上げた女性に対して、男性ばかりか、既にある程度のポジションにあるような著名な女性たちが反感を持ったり、非難したりしている心理とはいったい何だろう」。

1人の男子学生が手を挙げた。「あのー、レイプって問答無用で悪いことですよね。被害者がそれを正当な手段で告発するのは、まっとうなことですよね。その訴えが裁判で正当な手続きを経て認められたわけですよね。自分たちの非を認めたくない、女性の気持ちを理解できない男性が非難するのは、僕は賛成しないけれどまあそういう人もいるんだろうなとわかる。でも同じ被害を受ける可能性のある女性たちが、その恐怖や怒りに共感せずに当事者の女性を非難する意味が、僕にはわかりません。その人たちは、自分が同じ立場になってもレイプを受け入れるんですか」。

忖度と目配せ文化の終焉

本当だよね。その人たちは、レイプを受け入れるんでしょうか。なぜそういう人になったんでしょうか。問答無用で悪いことを、犯罪を犯罪だと言えなくなる、そうならざるを得ない何かがあったんでしょうか。男子学生の発言のまっすぐさに、私は時代が新しい価値観で上書きされる音を聞いた気がした。忖度や目配せに慣れることが、生き残るために必要な「賢さ」だとされてきた時代は、ルール改変とともに終焉を告げる。大ざっぱに言ってしまえば、新ルールはSDGsだ。そっちが「人類の文明」だ。

今年の新卒社員たちはおおむね1998年生まれ、現在の大学生は2000年ベビーたちである。社会人となってやってくる「21世紀未来の子」たちは、文明人なのである。自分では認めたくないけれどいかんともしがたく化石燃料の匂いを放つおじさんおばさんたちは、自分たちが新人や中堅として頑張っていたあの頃、同じ社会の空の下で生まれて育ち上がってきた彼らに文明を教えてもらうのを忘れちゃいけない。

河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト

1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。