熱狂してもよい土壌が出来上がった
「アニメ大ヒット」を根幹で支えたのは、やはり物語の素晴らしさであると言えるでしょう。わかりやすい設定で、共感できるキャラクターの背景が、子どもではなく「大人」をとりこにしていきました。
鬼、主人公たち、柱、キャラクターの家族のあり方が、物語が進むに連れて明らかになっていき、共感し感動しロールモデルとなっていきます。
友だち・兄弟・親など立場によってそれぞれの目線でこの物語を解釈していくのです。
そして、『鬼滅の刃』が親子や友人・知人間で共通の話題となり、家庭や職場、学校で話ができることも大きいと考えられます。熱狂していい土壌が出来上がっているのです。
反面くれぐれも、“キメハラ”には注意したいものです。
「鬼」に象徴される人間の弱さと日常のストレス源
物語の中心は、“鬼退治”ですが勧善懲悪ではなく、「悪い奴をやっつける」というダイレクトなものだけではありません。
鬼の背景を知ると、例えば累や猗窩座、妓夫太郎・堕姫兄妹など鬼になってしまうことに共感できる鬼もいます。
また、個性的なキャラクターである鬼舞辻無惨や上弦の鬼たちの振る舞いは、身勝手で自己中心的に思えますが、自分たちとはかけ離れているのかと問われれば、同種の負の側面を持っていると言わざるを得ません。自分中心な考え方や憂い、空虚さ、怖れ、妬みなど、人間の持つ醜悪な部分が、「鬼」という存在に象徴されているに過ぎないことがわかります。
「鬼」の振る舞いはパワハラやモラハラ、自分勝手な様子で描かれており、実社会で経験する職場の人間関係の構図とも受け取れるのです。鬼は、元は人間ですから人間の弱さと身勝手さを表わし、反面で日常のストレスの元凶を彷彿とさせます。