曹洞宗徳雄山健功寺の住職である枡野俊明さんは、「現代人には非日常が必要」と言います。疲れたときに、気軽にできる心のリフレッシュ法とは――。

※本稿は、枡野俊明『人生は凸凹だからおもしろい 逆境を乗り越えるための「禅」の作法』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

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※写真はイメージです(写真=iStock.com/kumikomini)

日本人の美「わび、さび」とは

千利休の茶の湯は「わび茶」といわれます。わびは漢字を当てれば「侘び」で、わびしいこと、また、質素、簡素なことを意味しています。

一方、さびは「寂び」。その意味はさびれていること、枯れていること、古びている、ということです。

どんなものも、ときの移ろいのなかでさびれたり、枯れたり、古びたりしていきます。もともとの姿を失い、どんどん不完全になっていく。しかし、そこにはもとの姿にはない、もとの姿とは違った、美しさがあります。それがさびの美といえるでしょう。

さびの美はわびしさをともなったり、どこまでも質素、簡素であったりします。ともすると、それらは美しさを損なう要素とも受けとられますが、そう受けとるのではなく、そこに風情、趣、おもしろみ……といったものを感じていくのがわびです。

質素でわびしい佇まいの茶室という空間で、簡素に徹した茶道具や花、軸などを用いて、茶の湯の世界を展開する。それが利休のわび茶といっていいでしょう。その流れが現在にまで受け継がれているのは、わび、さびに感応する心、それを美しいとする心を日本人がもち合わせているからである、といっていいと思います。

たとえば、それは古い禅寺の苔むした灯籠に趣を見る心です。満開の桜より、散りゆく桜のはかなさに美しさを感じる心です。