初めての転職だったので情報収集は周到に

IRを専門職として極めている人が意外に少ないこともあって、この領域に携わって5年目ぐらいから、ちらほらヘッドハントの話があったのです。でもオムロンから離れようと思うほどの強い動機はなかった。自分の市場価値を確認するために、ヘッドハンターに会ってはいましたが、2019年の夏に異動の話が出たので、本気で転職したいと伝えました。参天製薬でIRの部長職を探していた経緯もあって、どんどん話が進みました。

50歳近くで初めての転職ですから、口コミや社風など、情報収集も周到に。製薬会社は業界全体で景気変動に左右されにくい。しかも参天は眼科に特化していることで、参入障壁がある程度高くて優位なポジションを確保しています。

板垣さんの年収上昇率とキャリアの変遷

オムロンでは相応に高い年収をもらっていたので、良くて現状維持、下がるのも覚悟していましたが、少し上乗せで年収が決定。そのとき同時並行で転職活動をしていた数社の大手メーカーではポジションが空いていなかったり、仕事は魅力的だけど条件が合わないなど、お互いに希望が合致しなかった。オムロンでも以前ヘルスケアの仕事をしていたこともあり、もはや運命だと思い、参天に行くことを決めました。

IRをまだまだ極めていきたいのですが、“いっちょかみ”(何にでも口を挟む人)なんて言われてしまうほど(苦笑)、他の領域の仕事が気になる性質。参天はとても風通しがいい会社なので、今はCSRの領域にもかかわらせてもらっています。積極的な学びや働き方をして常に成長していかないと、優秀な人にどんどん追い抜かれてしまいますから。

お金がすべてではないけれど、大事なものであるのは確か。わが家は2馬力なので、子どもの教育費に十分なお金をかけられます。夫の両親との二世帯住宅のローンも早めに完済できたのもダブルインカムだからこそ。リーマンショックのころ、夫が勤める会社が倒産の危機にあったのですが、そのとき仕事を続けていることをいつにも増して家族に感謝されました。

運動に人脈づくりに勉強に! 自己投資にはお金を惜しまない

小さい子どもを抱えて仕事をするのは、辛いことも多かったけれど、辞めないで本当に良かった。特に上の子を出産した当時は育休期間が今より短く、子どもが保育園になかなか入れなかったし、復帰後に会社に自分の居場所がなくなってしまいそうで不安に。でも、会社を辞めるのはいつでもできる、今やれることを粛々とやるべきだと自分を励まして。育休時に通信教育で、中小企業診断士の勉強をやりました。“心の強さ”は人生のいろんな局面で武器になるはずです。

下の娘がまだ小さかったころ、学校の授業参観に誰も行けなかったので、彼女が泣きだしたことがありました。不憫ふびんに思って、仕事を辞めてあなたのそばにいようかと慰めたら「違う! おじいちゃんが来なかったから悲しかったの。お母さんはお仕事をちゃんと続けてください。そうしないと私は海外旅行に行けないでしょ」って(苦笑)。息子も娘も「将来しっかり稼げる人になりたい」と言っていますし、そうあってほしいと私も強く願っています。

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構成=東野りか 撮影=アラタケンジ

板垣 香里(いたがき・かおり)
参天製薬 企画本部 IR室 室長

1970年生まれ。早稲田大学文学部卒業後、オムロンに一般職で入社。5年目に総合職に転換。医療マーケティングを16年経験後、10年間IRを担当。2019年に参天製薬に転職し、現職。