バッシングの背景に根強い「ふつう幻想」

バッシングがなぜ起きるかというと、1億総中流と呼ばれた時代よりも、人種やセクシュアリティ、収入格差などが顕在化されている。もちろん過去にもそうした違いはあったでしょうが、多様化がより目に見える形で進み、「ふつう」なんてありえなくなっているのに、多くの人が「ふつう幻想」を捨てられないということがあります。

例えば同じ大学に通う学生や、同じ職場に所属する正社員なら、そんなに境遇が変わらないだろう、自分と同じ「ふつう」を共有しているだろうと考えがちです。みんなオフィスや学校に来て、何事もないように勉強し、問題なく仕事をしているため、家庭環境や経済環境などが大きく違うことが見えにくいのです。私は今回のコロナ禍で、学生たちのネット環境や家の学習環境といった差異が思ったよりもずっと大きいことに気づき、今までそうした差異が本当に見えていなかったんだ、と反省しました。

このように多様化と個人化が進んだにもかかわらず、「みんな同じはずだ」と相手を同一視しているところに、“わがまま”を言う人が出てくると、反発が生じるわけですね。

もう一つ、声を上げにくくしている原因として、社会運動の評価の問題があります。日本は抗議の声を上げない国民性だと考えられる向きもありますが、歴史を振り返れば、いろいろな形で抗議行動は起こっていたわけですし、そうとも言い切れません。実際にこれまでの社会運動によってできた制度もいくつかあり、男女雇用機会均等法や障害者差別解消法などが挙げられます。ただそれらが社会運動で誰かが声を上げた成果とは見なされず、政治家など、自分と遠い人びとの手柄だと思われてしまいがち。声を上げることの評価が正しくされていないことも、声を上げることのハードルを上げている原因といえます。

職場の違和感を“女性のわがまま”と切り捨てられないために

では、主張するとして、どのようにわがままを通していけばいいのか、身近な事例で考えてみましょう。

最近は新型コロナ感染拡大防止のためリモートワークを実施していた企業が、それ以前の出社勤務に戻しつつあります。育児や介護をする人にとっては、自宅でのリモートワークのほうが快適であり、その勤務形態を続けたいという希望もあるようですが、そう言うと「わがまま」だと思われかねないというお話は、どこでもよく聞かれるものです。そんな場合、どうしたらいいでしょうか。

当事者でないものの、LGBTQの人々に理解と共感を示す人を「アライ」と言いますが、そういった意味で力になってくれる人を探すという手があります。リモートワークをしたいのが女性なら、それに共感してくれる男性を身近に見つける。すると、会社の中で女性の気持ちを代弁したり、より普遍的に言語化するといった形で力になってもらえるかもしれません。

例えば、以前から選択的夫婦別姓制度の実現を求める声はあったわけですが、サイボウズの青野慶久社長が夫婦別姓を求めて妻の姓にしたことが大きく、非常にインパクトがありました。「女性のわがまま」と思われないためには、男性にも動いてもらうのが有効だと思います。若年層の男性にはリベラルな人が増えているので、考えを共有できそうな人にアプローチしてみるのもいいのではないでしょうか。よくビジネス誌などで、保守的な価値観や規範意識を持つ管理職の方を“昭和おじさん”と呼ぶのを目にしますが、そうした人々よりは、まず若い人からじわじわ共感を広げ、味方を増やしていくという方法です。