生活のすべてを仕事につぎ込む昭和な働き方

今、上司の立場にある年配男性の多くは、「仕事ができる人」として有能感を持って働いてきたはずです。現在のポジションにいるのは、これまでの自分の働きぶりが会社に評価されたからだと考えているでしょう。

彼らは長らく、「生活のすべてを仕事につぎ込むこと」で会社から評価されてきました。毎日決められた時刻に出社し、残業や転勤もいとわない、そういう人こそが有能だという評価基準の中で働いてきたのです。

自分はずっとそうしてきた、だから有能と認められて今の地位にいる──。彼らの有能感は、こうした考え方から出来上がったもの。自らの体験をもとに、長い時間をかけて築かれた「信念」のようなものなので、若手社員が何か言ったところでそう簡単には変わりません。

ところが今は、生活を仕事につぎ込むような働き方をしても評価されないどころか、会社から在宅勤務やリモートでのマネジメントを求められる時代。以前は有能の証しだった働き方は、コロナショック以降あまり評価されなくなってしまいました。

従来の評価基準が通用しなくなったことが、つらさの原因に

こうした状況に直面して、長く昭和的働き方をしてきた人たちは、これまで評価されてきたことが通用しなくなったと感じています。これが無能感の正体です。

世間や会社の評価基準が「生活のすべてを仕事に捧げること」だった時は有能だったのに、働き方が急に変わったせいで急に無能になってしまった──。この感覚は、本人にとってかなりつらいものに違いありません。

社会がこれほど急激に変わるとは、想像もしていなかったはずです。実際、こんな変化はめったに起こるものではありません。国による働き方改革でも、日本企業の働き方や評価基準はそれほど大きくは変わりませんでした。そう考えると、彼らは価値観を変えにくい年になってから急激な転換を求められたわけで、ある意味かわいそうな状況とも言えます。

しかし、評価基準の変化自体は社会にとって望ましいことです。これが進めば働き方の選択肢が広がり、より多くの人が無理なく仕事を続けられるようになるでしょう。たとえ彼らがつらくても、この変化はさらに進めていかなければなりません。