マスクをめぐる行動経済学

【牛窪】このうち、転売目的の買い占めは「自分がこれだけ人より先んじて買い占めることができた」という「達成」動機と、自分が主導して価格等を決められる「権力」動機が大きく作用したのではないかと思います。

 特に後者では、今回「買えなかった人よりも優位に立てる」というだけでなく、「転売ヤー」と命名されて社会的な注目も浴びたので、「自分たちが社会を動かしている」という万能感をも得ていたかもしれません。

【中野】動機の分類。この分析は非常に興味深いですね。

【牛窪】私は「メルカリウォッチャー」なので、フリマアプリのメルカリで、マスクやトイレットペーパー転売の一連の動きを追っていたんです。最初の頃は大口取引が大半だったのが、批判が高まるにつれて小口取引が増えました。さらに時間が経つと、本当に困っている人に向けて薄利で売る人が出てきました。例えば「本当に困っている人だけ申し込んでください」ということで、送料込み400円~500円で、8ロールのトイレットペーパーを売る人が何人もいました。送料を考えたらほとんど儲かりませんよね。

マズローの5段階欲求でいうと、最初は、生きるために必要なものを手に入れるという「生理的欲求」で動く人が多かった。でも少しずつ冷静になる人が出始め、一部の人の間では、奉仕行動によって認められたいといった「自己承認欲求」が有意になってきた。そして最近は、認められようがられまいが、「誰かの役に立つ」など、自分がありたい姿に近づきたい、と動く人が出てきたな、と思います。今回の「マスクをめぐる行動経済学」は、多変量解析にかけたいような、興味深い研究テーマです。

【中野】本当ですね。こうした買い占めは、何か大きな事件が起きるたびに起こりますしね。

悪を叩くと得られる快感

【中野】多くの人は、いわゆる転売ヤーと呼ばれる人たちを見ると、自分が罰しなければ、という思いに駆られて、正義感に裏打ちされた攻撃欲が非常に高まります。私は今回、そうした現象にどうしても目が行ってしまいました。

脳科学者中野信子さん

【牛窪】メルカリやヤフオクでも、マスク売買が禁止される直前、「それって転売ですよね」などと叩く人々が、多く見られました。一体なぜなんでしょうか?

【中野】「自分が社会正義を執行したい」という欲求はとても強力なものなんです。自分が正しい側にいて、規範から逸脱した人を攻撃すると「自分はいいことをした」という報酬が脳内で得られるんです。

 その報酬が快感として味わえるので、これを覚えてしまうと、攻撃する相手がいなくなるとちょっと物足りない気持ちになったりする。そして、少しでも規範から逸脱した人がいないかと目を皿のようにして探してしまうんです。これを私は「正義中毒」と名付けているんですが、今回のように危機的な状況になると、必ずこうした正義中毒の人が増えてきます。

【牛窪】正義中毒の場合は、規範から外れた人を攻撃すると、脳内で快楽物質のドーパミンみたいなものが放出されるんでしょうか?

【中野】そうなんです。自分がやったことが、みんなのために良い行動だったと判断すると、脳の内側前頭前皮質というところが活性化して快感を覚えるようにできているんです。正しいことをする快感を味わいたいので、「悪いことをしている人を叩く」という行動がやめられなくなってしまう。「お前は悪いことをしたんだから、叩かれるのは当然だ」と、どんどん「正義」にはまっていきます。