新型コロナウイルスの感染拡大で、転売を目的にモノを買い占める人も現れた。そしてそうした転売ヤーを叩く人が急増。緊急時に悪を叩きたくなる「正義中毒」が増えるメカニズムとは――。

「転売ヤー」の動機は儲けたいことだけではない

【中野】新型コロナウイルスの感染拡大で、マスクやトイレットペーパーなどの買い占めが起きました。以前話したように(「『トイレットペーパーが十分ある』とわかっていても買い占めてしまうのか」)、「なくなるかもしれない」という漠然とした不安から余分に買ってしまう人たちがたくさんいた一方で、転売目的の買い占めが問題視されました。転売を目的とした利得追求型の購買行動は、「脳内物質『セロトニン』の再利用効率が悪く、不安を感じやすい」という日本人の特徴からはやや逸脱するように思われるのですが、行動経済学の視点から読み解けますか?

マーケティングライター牛窪 恵さん(右)と脳科学者中野信子さん(左)
マーケティングライター牛窪 恵さん(右)と脳科学者中野信子さん(左)

【牛窪】確かに、自分や家族のための買い占めと、転売のための買い占めは、人がものを欲しがるときの「ニーズ」を生み出す動機が異なりますね。特に今回の転売は、単に「転売して儲けたい」という動機だけではないという感じがします。

消費に至る動機には、生命維持のために必要不可欠な生理的欲求を指す「一次動機」と、経験などによって後天的に学習された欲求を指す「二次動機」があります。二次動機はさらに、個人的な満足感を得たいという動機と、社会的な満足感を得たいという動機に分かれます(図表1)。

【図表1】動機分類

個人的な満足感の中には、「独自性」(自分は他人と違っていると思いたい)、「自己尊厳」(自分をより高く評価したい)などがあり、個人的・社会的の両方にまたがる満足感として「達成」(自分の成果を評価されたい)があります。そして社会的満足感には「権力」(他者や世界に影響を与えたい)や「親和」(他者と仲良くなりたい)などがあります。

マスクをめぐる行動経済学

【牛窪】このうち、転売目的の買い占めは「自分がこれだけ人より先んじて買い占めることができた」という「達成」動機と、自分が主導して価格等を決められる「権力」動機が大きく作用したのではないかと思います。

 特に後者では、今回「買えなかった人よりも優位に立てる」というだけでなく、「転売ヤー」と命名されて社会的な注目も浴びたので、「自分たちが社会を動かしている」という万能感をも得ていたかもしれません。

【中野】動機の分類。この分析は非常に興味深いですね。

【牛窪】私は「メルカリウォッチャー」なので、フリマアプリのメルカリで、マスクやトイレットペーパー転売の一連の動きを追っていたんです。最初の頃は大口取引が大半だったのが、批判が高まるにつれて小口取引が増えました。さらに時間が経つと、本当に困っている人に向けて薄利で売る人が出てきました。例えば「本当に困っている人だけ申し込んでください」ということで、送料込み400円~500円で、8ロールのトイレットペーパーを売る人が何人もいました。送料を考えたらほとんど儲かりませんよね。

マズローの5段階欲求でいうと、最初は、生きるために必要なものを手に入れるという「生理的欲求」で動く人が多かった。でも少しずつ冷静になる人が出始め、一部の人の間では、奉仕行動によって認められたいといった「自己承認欲求」が有意になってきた。そして最近は、認められようがられまいが、「誰かの役に立つ」など、自分がありたい姿に近づきたい、と動く人が出てきたな、と思います。今回の「マスクをめぐる行動経済学」は、多変量解析にかけたいような、興味深い研究テーマです。

【中野】本当ですね。こうした買い占めは、何か大きな事件が起きるたびに起こりますしね。

悪を叩くと得られる快感

【中野】多くの人は、いわゆる転売ヤーと呼ばれる人たちを見ると、自分が罰しなければ、という思いに駆られて、正義感に裏打ちされた攻撃欲が非常に高まります。私は今回、そうした現象にどうしても目が行ってしまいました。

脳科学者中野信子さん

【牛窪】メルカリやヤフオクでも、マスク売買が禁止される直前、「それって転売ですよね」などと叩く人々が、多く見られました。一体なぜなんでしょうか?

【中野】「自分が社会正義を執行したい」という欲求はとても強力なものなんです。自分が正しい側にいて、規範から逸脱した人を攻撃すると「自分はいいことをした」という報酬が脳内で得られるんです。

 その報酬が快感として味わえるので、これを覚えてしまうと、攻撃する相手がいなくなるとちょっと物足りない気持ちになったりする。そして、少しでも規範から逸脱した人がいないかと目を皿のようにして探してしまうんです。これを私は「正義中毒」と名付けているんですが、今回のように危機的な状況になると、必ずこうした正義中毒の人が増えてきます。

【牛窪】正義中毒の場合は、規範から外れた人を攻撃すると、脳内で快楽物質のドーパミンみたいなものが放出されるんでしょうか?

【中野】そうなんです。自分がやったことが、みんなのために良い行動だったと判断すると、脳の内側前頭前皮質というところが活性化して快感を覚えるようにできているんです。正しいことをする快感を味わいたいので、「悪いことをしている人を叩く」という行動がやめられなくなってしまう。「お前は悪いことをしたんだから、叩かれるのは当然だ」と、どんどん「正義」にはまっていきます。

危機になると増える「正義中毒」

【牛窪】そうした「正義中毒」の人が、危機的状況だと現れやすいんですね?

【中野】そうなんです。普段からそういう状態の人はいるんですが、危機的な状況だと増えてしまいます。

私たちは普段から、「個人」と「社会」という2つの原理の間のどこかで生きているわけですが、比較的安全な時だと「個人」の原理を優先することができます。しかし、危機的な状況の場合は、みんなで立ち向かわないと乗り越えられないので、「個人」よりも「集団」の原理が優先されるようになります。それで、脳が「危機だ」と判断すると、「みんなのために何かをしない人は、悪だ!」となってしまう。

戦争のときなども、そうなりやすいんです。「みんなのために戦わない人は非国民だ」というような気持ちになる人が増えていきます。

「一億総監視社会」のしんどさ

【牛窪】東日本大震災の直後は、「日本国民が一丸となって、乗り越えていこう」と、いい意味での連帯感が生まれたのに、今回はまだ渦中にあるからか、一体感が弱い。先が見通せないという不安感に加えて、正義中毒の人が増えると、世の中全体が息苦しくなりますね。それが今の「コロナ疲れ」につながっているように思います。

脳科学者中野信子さんとマーケティングライター牛窪 恵さん

【中野】

本当にそうですね。今回の新型コロナでは、日本社会の強みと弱みがはっきり出てきた気がします。「みんなで一丸となって対応しよう」という雰囲気になり、衛生に対する意識がさらに高まったところは良かったと言えると思います。とはいえ、「一丸となって」というのは「諸刃の刃」でもあります。「一人だけわがままに振る舞う」ということは許されない空気が醸成されていって、まるで互いに監視し合っているような息苦しさを生むことにもなります。そのストレスも、「コロナ疲れ」の一因かもしれません。

本当は、誰か裁量権を持った人が「いついつまでは外出禁止」と明確で強いメッセージで打ち出すのが良いのでしょうが、実際はかなりの部分が個人の判断に任されているので、かえってお互いが監視し合い、密告しあっている状態を助長しているようなところがある。日本独特の現象がさらにエスカレートしかねないようなときだと思います。

【牛窪】「一丸となれる」ということはつまり、「一億総監視社会」にもなりやすいという怖さがあります。英語圏では、新型コロナウイルスの正式名称「COVID-19」と「IDIOT(愚か者)」を組み合わせた「Covidiot」という造語も生まれ、ハッシュタグをつけてSNSで吊るし上げるような傾向も出始めました。日本でも、休校中の子どもが公園で遊んでいると、「家にいるべきではないのか」と、教育機関に苦情が来たりもしたようです。

【中野】今はちょっと息抜きに近くを散歩しただけでも、責められそうな雰囲気があります。「あふれる正義」の時代はしんどいですね。

【牛窪】そうですね。しんどい。でも恥ずかしながら、「正義を振りかざして誰かを叩きたい」という気持ちは、自分の中にもあるかもしれません。

【中野】人間がもともと持つ社会性に則した行動なので、叩きたくなる、というのは自然なことではあるんですよね。でも今は、ちょっと行き過ぎたところが目立ってしまっているかもしれませんね。

【牛窪】ただ、そういう危機状況での心理について知れば、自分の心の動きも俯瞰して見られるようになる。それだけでもずいぶん違うように思います。