いくつもの段ボールに入れられた大量の書類
担当先の病院で耳にしたのは、大量の紙書類による煩雑な事務手続きに悩まされているという悲鳴だった。
治験関連の書類は、いくつもの段ボールが積まれるほど大量になる。それらを仕分けして、チェックして、最後は溶解処分にすることまで考えると、コストも労働力も無駄遣いをしている気がした。
「こういう課題こそ、ITの力でどうにかできるのではないか」と思って、開発担当者に話をしてみると、すでにシステムは開発されているという。ただし、その販売価格は2億円もするというのだ。
治験に関する書類は、慎重な取り扱いが必要になる。人の命に関わることだけに、容易にデータが改ざんできないように、厳格なルールも設けられている。そのルールを踏まえたシステムを構築するには、当時の技術環境では、億を超える莫大な費用を必要とした。それほど高額となると、資金が潤沢な大病院でもなかなか手が出ない。だからこそ、現場の誰もが効率化を望みながらも、それまでのやり方を変えられずにいたのだ。
煩雑な事務手続きは、新薬の開発スピードにも影響を与えてしまう。新薬の完成を待ちわびている患者さんのためにならない。今はだめでも、いつかこの現状をどうにかしたい――。
鎌倉さんの心に、使命感のような想いが芽生えたのは2007年のことだった。
ある日突然、全社員解雇の衝撃
数年後、米国のベンチャー企業ネクストドックスが5000万円で治験書類を管理できるシステムの提供を始めた。高額ではあるものの、それまでの2億円と比べたら4分の1の破格値だ。「この価格なら売れる」と考えた鎌倉さんは、思い切った行動に出た。旧知の間柄だったネクストドックス社の社長に直接掛け合って、2011年に日本支社を設立。代表に就任したのだ。
予想通り、提供価格が安くなったことでシステムに興味を示してくれるお客様が増え、日本支社は順調に業績を伸ばしていった。
ところが、2015年7月、突然足をすくわれる出来事が起こった。米国の親会社が買収され、日本支社の閉鎖と、全社員の解雇が一方的に通告されたのだ。すでに決定事項だという無情な言葉に、抗うすべは何もなかった。
どうしようもない――。受け入れるしかない現状を悟り、鎌倉さんは自ら採用した日本支社の社員一人ひとりに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そして、見捨てられた形になった日本市場のお客様に対する責任感に苛まれた。
「日本のお客様へのサポートはどうなるのだろう。自分の言葉を信じてシステムを導入してくれたのに、このままではサービスが宙に浮いてしまう。前向きに検討を進めてくれていたお客様もいる。どうにかしないと、という思いがありました」
さまざまな葛藤の末、「これは長年くすぶっていた起業のチャンスかもしれない。今こそやりなさいと、神様が後押ししてくれたんだ」と気持ちを切り替えた鎌倉さんは、起業を決意してアガサを設立。解雇通告から3カ月後の2015年10月のことだった。