西太后は国の行く手を塞ぐ反面教師
ここまでは、自国の経済発展に寄与した女王たちについて書いてきました。しかし世界史には、発展の邪魔ばかりする反面教師的な女帝もいました。西太后(1835~1908)です。
正確にいうと西太后は、女帝ではなく皇太后(先代皇帝の皇后)です。しかし彼女は、実に50年以上、中国最後の王朝・清の最高権力者として君臨します。
彼女は夫・咸豊帝の没後、皇位継承したわずか5歳の息子・同治帝の摂政となり、同治帝死後は妹の子でわずか4歳の光緒帝の摂政となります。当時の清はアロー戦争(第二次アヘン戦争)に負けたばかりだったので、国力アップのため、当初は官僚たちの進める洋務運動(近代化のため西洋技術だけを取り入れる運動)を支持します。しかし伝統的な京劇や建築・美術の大好きな彼女は、なんと海軍費用を横流しして皇族用保養地を大々的に整備し、そのせいで弱体化した清海軍は、日清戦争に敗れてしまいます。
このままではまずいと、今度は官僚たちが政治体制そのものから西洋化する「戊戌の変法」をめざしますが、西太后は猛反発し、クーデターを起こして光緒帝を幽閉し、改革派を弾圧します。この頃から排外的になった彼女は、義和団事件(排外主義的民衆団体・義和団が日独の外交官などを殺害した事件)を支持し、諸外国に宣戦布告します。しかしあっけなく敗れ、その後彼女は清朝延命のため、ようやく西洋文明の導入に努めました。
ただ、“中国三大悪女(呂后・則天武后・西太后)”の一人とまで言われた西太后ですが、近年再評価が進んでおり、最近では残忍なエピソードの大半(帝の寵愛を受けていた麗姫の手足を切断して甕の中で生かし続けた、光緒帝の側室を生きたまま井戸に投げ込んで殺した、光緒帝を毒殺した、など)は捏造であるといわれています。
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