父に請われタニタ入社を決断
——2社目の就職先、船井総合研究所では特に多くのことを学ばれたそうですね。
【谷田】最初はコンサルタントとしてはもちろん、社会人としてもまったく“使えない社員”でした。先輩からは、身だしなみから企画書作成まですべてにダメ出しされていましたね。カッコいいと思って選んだスーツは「顧客に会う服装ではない」、時間をかけて仕上げた企画書は「日本語がおかしい」、揚げ句は週1冊本を読めと言われて感想を述べたら「読み込みが浅い」。もう全否定ですよ(笑)。
ショックでしたが、何も言い返せませんでした。先輩の指摘は全部正しかったからです。この先成功するためには、ダメな自分をまずビジネスパーソンとしてのスタートラインに立てるよう成長させなければならない。そう考えた時、こんなチャンスはそうそうないと思いました。ビジネスのマナーからスキルまで全部教えてくれるわけですから。感謝こそすれ辞めるなどという選択肢は浮かびませんでした。
——そこで鍛えられて飛躍的に成長されたのですね。先代も「頼もしくなったな」と思われたのではないでしょうか。
【谷田】経営コンサルタントとして経営者の方々とお話しする機会も多くなり、やがて帰省した際に父から経営上のアドバイスを求められるようになりました。反論もせず、私のアドバイスを聞いていましたので、入社してくれたら助かると思うようになったのかもしれません。当時の父と私の共通の話題と言えば、一番は「経営」でしたから、自然とそうした話が中心になっただけなのです。これは、小学生の頃に商品の話をしていた時と同じかもしれませんね。
それから数年後、突然父から「事業を手伝ってくれないか」と切り出されたのです。ちょうど経営コンサルタントとして波に乗ってきたところで、いずれは先輩のように活躍したいという野心もあったので、かなり悩みました。辞めたくない気持ちが強かったのですが、迷った末、最終的には「これも親孝行かな」と思ってタニタへの入社を決めたのです。
——タニタ以外でビジネススキルを磨いた立場から見て、入社後の印象はいかがでしたか。
【谷田】私の最初の仕事は、戦略室という経営改善・企画を練る部門でした。それまで経営コンサルタントとしてバリバリ仕事をしていたので、どうしても効率の悪さや生産性の低さばかりが気になってしまって、そこを正そうとあれこれ率直に言いすぎた結果、社内で大きな反発を招いてしまいました。