少子化問題が女性の問題にされるおかしさ

産まない当事者の女性たちが、実家の親や親戚から散々聞かされているだろう「どうして産まないの」というもの言いは、産むのが当然という「過去の常識」からきている。その過去の常識という観点からすると、少子化社会は「女性が産まないから、結婚しないから」と、完全に女性の問題にされている。

「ようやく子どもを産みたいと思った時には、手遅れだった」——。一生涯働き続けることが前提とされる40代以下の世代では、一生涯働けるキャリアを積むために20、30代の体力のある時期を仕事につぎ込み、気づいたら子どもを産めない体になっていた女性も少なくない。そうやって「産まないんじゃなくて産めないのだ」と悲しむ人たちだっている。

妊娠・出産は、女性にしかない機能だ。しかも時間限定的で、いつでも漫然と可能なものではない。そんな、女性の身体にしかない特別なはたらき、特徴、特権であるにもかかわらず、現代の私たちは「出産は女の特権」だなんて、とてもそうポジティブには思えていない。

出産と子育てが女性にとって不利になる悲しい社会

それは、出産と子育てが自分の人生にどちらかというと不利をもたらすよね、という本能的な判断を、現代の多くの女性がしているからではないか。どうこう言ったって日本は依然男性主導的な社会、男性のほうが生き残るのに有利な社会なのだ。そんなところに女性が組み込まれ、「参加させていただいている」限り、女性の耳に出産がポジティブに響くことはない。

男は結婚しようとしまいと、配偶者が出産しようとしまいと、なんだかんだ「逃げられる」。だけど女は「逃げられない」。そんなふうに社会全体が本心の部分では感じているのにふたをして、出産可能年齢の若い女性たちに向かって「なぜ産まないの」と意地悪く聞き、「産まないのはわがままだよね」と退路を断とうとしているというのが、女の側からなら見える。

だから女性政治家には、「いまどきの若い女性は、どうして子どもを産まないんでしょうねぇ」「若い女性に産んでもらわないとわれわれは困るんですよ」なんて他人事感満載で言い放つ人はいないのだ。当事者だからだ。産む・産まないが、自分の「女の体」と直結した問題だからで、それを語るなら自分はどうなのかと振り返らざるを得ないからだ。

男性社会の中に女性が「組み込んでいただいている」価値観や仕組みにおいて、「どうして産まないの。社会が困るんだけど」と聞かれるような出産は義務であり、負荷でしかない。それに静かに抵抗する女性が多いことを、正常なバランス感覚を持つ人間なら、なぜ責められようか。

写真=iStock.com

河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト

1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。