両立のため「稼ぎは全部子育てに使う」と覚悟
両立を続けるために私が何をしたかと言うと、「稼ぎは全部子育てに使う」と覚悟を決めたんです。ベビーシッターなど頼れるものは全部頼る、子どもと遊べる時間は全力で遊ぶ、そのためのお金は惜しまないと腹をくくったんですね。自分のために使うのは子育てが終わってからでいいと。そう決めてしまえば意外と気が楽になるもので、ストレスもそれほどたまりませんでした。
最近は義母の介護も始まりましたが、同じようにストレスなく仕事と両立できています。上の子たちが巣立って、やっと自分のお小遣いが捻出できるようになったんですが、それを使って楽しむのはまだ先になりそうです(笑)。
この経験から、子育てと仕事の両立には「腹をくくる」ことが大事かなと思います。もちろん、そこまでしなくても両立はできるかもしれません。でも、時間やお金のやりくりに悩みながら暮らすとストレスがたまるもの。そのストレスの元をなくしてしまえば、子育ても仕事も楽しむ気持ちが生まれるのではないでしょうか。
キャリアに転機、2回目の転職先で米国へ
次に、私のキャリアについてお話ししたいと思います。私はこれまでに4回転職をしてきました。振り返ってみると、何か新しいことにチャレンジしたいなと思うたび、いつもサポーターのような人が現れて引っ張り上げてくれたように思います。運に恵まれたと同時に、その方々には本当に感謝しています。
大学を出て最初に勤めたのは日本電気でした。エンジニアとして航空自衛隊向けのシステムを作っていたのですが、ある日、長男にどんな仕事かと聞かれて「子どもにうまく説明できない」と思ったんです。そこに矛盾を感じて、子どもにも説明できる仕事に転職しようと決めました。
もともと思い立ったら止められない性格なので、すぐ上司に退職を伝えて人材会社に登録。そこで紹介されたのがスヌーピーのキャラクターライセンスを扱う仕事でした。これが1回目の転職ですね。子どもに説明するにはぴったりの仕事で、しばらくは楽しく働いていたのですが、次男を妊娠して遠距離通勤がつらくなり、出産を機に退職することにしました。
ただ、家庭に入ろうと思っていたわけではありません。退職の意思を伝えたその足で派遣会社へ登録しに行き、出産して約1カ月半後には2回目の転職先、日本マイクロソフトで働き始めました。この仕事が、キャリアの大きな転機になりました。ソフトウェアを現地の言葉に対応させる「ローカライゼーション」の担当になり、派遣社員なのに世界にちらばる多国籍チームをマネージメントすることになったのです。
さまざまな国のスタッフとコミュニケーションをとるのは大変でしたが、「何とかなる」と腹をくくって仕事を続けるうち正社員に。その後、米国本社から赴任の声がかかり、家族全員で渡米しました。
赴任先での仕事はとても楽しいものでした。落ち込んだ時期もありましたが、人事や法務、財務、営業、マーケティング、調達などさまざまな業務を担当するうち、やがて役員から「自分の補佐に」と声がかかったのです。ビジネスをより深く学べそうだなと思って引き受けたら、しばらくしてまた別の人から声がかかって……。そんな形で1年ごとに部署を転々としながら、2013年までは米国で働いていました。