合戦背景を復習して回ると、より感情移入できる
では、まず歴史をおさらいしよう。
戦国の世を平定した豊臣秀吉の死後、天下を狙う徳川家康率いる「東軍」と、豊臣家に忠誠を誓う石田三成率いる「西軍」の戦いが、「関ケ原の戦い」。新時代への幕開けとなった戦いだ。
では、なぜ関ケ原だったのか?
関ケ原の「関」とは、通行人を取り締まる「関所」を意味する。関ケ原には、古くから関所が置かれ、中山道などの街道の分岐点であり、交通の要衝。この関ケ原を押さえることは、戦略的にもとても意味があったよう。
関ケ原は周囲を小高い山々に囲まれ、仮に石田三成率いる西軍がこの一帯を制圧すれば、徳川家康率いる東軍は、京都や大坂へ進軍できなくなるからだ。
地理的にも軍勢の数でも有利だったはずの「西軍」なのに、なぜたった6時間あまりで「東軍」に敗れることになったのか……。
その背景を知るためにも、最初に訪れたいのが、「関ケ原町歴史民俗資料館」(現在、隣地に5階建ての「岐阜関ケ原古戦場記念館」を建設中で、2020年夏に完成予定)。
1Fには、教科書でも目にしたことのある、「関ケ原合戦図屏風」が展示されている。各武将率いる軍勢の動きが臨場感あふれる詳細な絵により、手に取るようにわかる。
じっくりと「関ケ原の戦い」の背景を学んだあとは、2Fへ。関ケ原とともに、世界三大古戦場といわれる、ナポレオン最後の戦いの地、ベルギーの「ワーテルロー」、アメリカの南北戦争の最大激戦地「ゲティスバーグ」にゆかりの展示も見られるから、合戦好きはぜひ見学を。
入館料:大人350円
http://www.rekimin-sekigahara.jp/
資料館の目の前には、「徳川家康最後陣地」が広がる。
合戦当日の午前11時頃、家康は三成が陣取る笹尾山からわずか数百メートルのこの場所に陣を移し、心理的に三成を揺さぶったという。