「子育ては家族のもの」と考えることのリスク

悲惨な児童虐待のケースでは、児童相談所の職員や警察が、問題を把握しながらも親が子どもの引き渡しを拒絶したために引き下がってしまっていた、という話がよく聞かれます。法的には強制執行することは可能であっても、やはり「子育ては家族のもの」という意識の強さがそれを邪魔してしまっているように見受けられます。

そろそろ、日本も北欧諸国のように、子育てや介護に伴う様々なリスクは、社会全体で負っていく、すなわち「社会で子どもを育てる」という感覚を持つことが重要になっているのではないでしょうか。

スウェーデンにおける小学校社会科の教科書を読むと、貧困や失業といった社会問題が積極的に取り上げられています。ただしそこには、貧困や失業に陥った人々がかわいそうだから助けてあげましょう、などということが書かれているわけではありません。それらを放置しておくことが、いかに自分を含む社会全体に悪い影響を与え、ひいては社会の持続可能性を弱めることになるのか、について考えさせていきます。単なる慈悲ではなく合理的な考えに基づいて、人々の抱えるリスクを社会全体で負担することを肯定する姿勢を身につける教育には、見習うべきところがあると思います。

カネカ問題も根っこは同じ

子育てと言えば、最近、育児休暇を終えて復職した父親がすぐに転勤を命じられ、退職を余儀なくされたということが話題になりました。会社側の肩を持つわけではありませんが、「子育ては家族のもの」という考えに立てば、そんなプライベートな問題で会社の業務に支障をきたされては困る、という主張が出てくるのも仕方のないことのように思われます。個々の企業の対応を責め立てるのではなく、個々の企業が負担に感じているリスクを社会全体で汲み上げて負担するシステムを考えていかなければ、この問題を抜本的に解決するのは難しいでしょう。

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