もう長生きしてきただけのオッサンの経験は役に立たない

山口周『劣化するオッサン社会の処方箋』(光文社)

かつて人類は、「何百年ものあいだ、ライフスタイルがほとんど変わらない」という時期を過ごしてきました。このような社会であれば、オッサンたちが有する過去の経験や知識は、コミュニティや組織の存続にとって貴重で重要なものであり、したがって、社会において「長く生きている」人々が尊重されたのも合理的であったと思われます。

しかし、現在のように環境変化が早く、過去の知識や経験の陳腐化がどんどん進む社会では、単に「長く生きている」ことの価値は減少していくことになります。それどころか、「昔とった杵柄」よろしく、不良資産化した知識や経験を振り回すようになれば、むしろ老害をなす存在にすらなってしまいます。

そして実際に、そのような「権力だけは与えられたけれども、まともな知性を育んでこなかった」オッサンたちが、この国の各所でポジションにしがみつき、配下の中堅・若手を振り回して彼らの人生を無為に消耗させています。

このような社会にあって、私たちは、単に年長者だからというだけの理由で、その人を尊重し、彼らの意見や行動に対して、おもねって従う理由はまったくありません。

重要なのは、その人の意見や行動が、自分の判断基準に照らして「真・善・美」であるかどうかということであり、もしそうでないのであれば、別に恭順する必要はありません。むしろより積極的に、これを攻撃・否定することが求められます。

劣化したくない若者よ、オッサンに意見を

劣化したオッサンがここまで大量に出現した最大の理由は、配下の中堅・若手からのフィードバックの欠如です。学習のためにはフィードバックが不可欠ですが、劣化したオッサンたちはこれまでの人生でまともなフィードバックを受けていないため、ここまで劣化してしまったのだと考えられます。

では、どのようなフィードバックが有効なのか。

カギはオピニオンとエグジットの二つを活用することです。

オピニオンとは、自分がおかしい、間違っていると思ったときにはそれを声に出して意見する、ということです。エグジットとは、オピニオンによって状況が改善しない場合、その場所から退出するということです。

逆にいえば、オピニオンもエグジットもしないということは、権力者の言動を支持しているということでもあります。

一連の不祥事を起こした企業に身を置きながら、オピニオンもエグジットもせず、ただダラダラとその日の糧を得ているということは、これらの不祥事に自分もまた加担し、それらを主導した権力者を支持している、ということにほかなりません。

もちろん、本人としては致し方なくそのようにせざるを得ない、という事情があるのかも知れませんが、そのような状態に甘んじてしまうことはとても危険です。

なぜなら、長い年月にわたってそんな状態を続けていれば、自分自身が「劣化したオッサン」になってしまうことは、間違いないからです。