両親の反対を押し切って、再びの起業
ファッションショーは、ヴェルサーチの洋服をレンタルし、メディアを招待して病院のホールで大々的に開催した。ランウェイを歩くのは入院中の患者たち。歩くのは最後かもしれないという人や、一生髪が生えてこない人、そして、もう病院の外に出ることはないという人もいた。
反響は大きく、塩崎さんは「これを単発で終わらせてはいけない」と、入院患者向けのアパレルメーカーをつくることを心に誓い、すぐさまビジネススクールに通い始める。そして、そこで知ったビジネスコンテストに応募して見事グランプリを獲得し、TOKIMEKU JAPANを設立。元DeNA取締役の春田真さんからの出資を受け、自分のなけなしの財産であった車も売って、「KISS MY LIFE」の事業化にこぎつけた。その際には、高校時代のバンド仲間が会社を辞めて、経営メンバーとして参画してくれることになった。
一方両親は、再度の起業に大反対だった。「また事業を立ち上げるなんてストレスになってしまう」と健康を心配してのことだった。しかし、塩崎さんが引くことはなかった。
古い商習慣をこわす
ブランドの立ち上げで大事にしたのは闘病の経験だ。治療中のファッションを振り返ると、ケア・介護用品は何十年も変わらない「ファッション性がない」服ばかりなのが本当につらかった。
ケア・介護用品は、機能性の高さが何よりも重視される。例えば入院中のパジャマであれば処置がしやすいものが必要になるし、患者さんや高齢者は肌に優しい生地素材のものが喜ばれる。そうした事情もあって、院内や施設にあるカタログで選ぶか売店で買うのが主流だった。そして、メーカーと販売先の間にカタログ等を配布する中間流通業者が存在することは、ケア・介護用品にファッション性が乏しい要因になっていた。流通販路が限られていることで、競争がなく、患者が喜ぶデザインの服をつくるという発想が生まれなかったのだ。
ファッション性の高いケア・介護用品としてブランドを確立するためには、流通に仲介業者を通さず、直販にする必要があった。
そのため、まず院内に小規模な店舗やワゴン販売を行う試みを始めた。自社の製品だけでなく、ケア・介護用品、ファッション性のあるグッズを購入できるセレクトショップだ。患者の憩いのスペースとして存在感を増し、現在では関東の国立大学病院をはじめ8カ所に出店している。他にもECショップや自社カタログの配布を行い、少しずつ販路を広げている。