がんの診断に、従業員は泣き崩れた

そんな幸せで退屈な日常は、2013年の冬、海外出張中のある出来事を境に一変した。

「アイスクリームを食べていたら、胸元にこぼしてしまって。それを拭おうとした時、しこりに気づいたんです」

今まで感じたことのない硬いしこりだった。嫌な予感がして、帰国してすぐに病院に駆け込んだ。診断は乳がんだった。当時「片方のわきが閉じにくい、太ったのかな」と周りに話していたのだが、それはすでにわきに転移があったからだった。

「この状態では手術ができない」と医師に言われ、まず1年間抗がん剤の治療に臨むことになった。

治療を始めるとすぐに髪が抜け始めた。こんな自分の状況と結婚式用の衣装を取り扱う“ハッピー路線”の事業とが自分の中でどうしてもリンクしない。事業継続の道を探していたが、治療1カ月の時点で「店を閉めよう」と決断した。

家族のように接してきた店の従業員たちに、その時初めて自身の病気について話すと、「なぜ社長がそんな目に遭うの!?」と泣いてくれた。彼女たちの転職先探しに奔走し、事業に区切りをつけたあと、治療に専念する生活が始まった。

すべてを失い、アイデンティティは“患者”だけに

抗がん剤の治療はつらく、立ち上がって移動することすら苦しい時期もあった。それでも治療中は、がんという倒す相手がいるため、モチベーションを保つことができた。それに体が楽なときは海外旅行で気晴らしもでき、決して高くない生存率でも前向きさを持てた。

塩崎さんにとって、治療が終わってからが本当の修羅場だった。トリプルネガティブという部類のがんで、ホルモン治療の効果が期待できない。できる限りの治療を終えたとき、「次のモチベーションをどこに持っていけばいいのだろう」と絶望したのだ。

「常に競争にさらされていた“経営者”という立場から、生きていればそれでいいという免罪符のある“患者”という立場になり、気づいたときには会社も健康も失って“患者”としてのアイデンティティだけになってしまったんです」(塩崎さん)

自分の命が短いかもしれないと覚悟したとき、「果たして自分がやってきたことは正しかったのだろうか」「何か役に立つことができたのだろうか」と自問自答し、自分のダメなところにばかり目がいくようになっていた。

そうして鬱々と過ごす日々が続いていたとき、転機が訪れた。主治医から「病院でファッションショーを開いてくれないか」という提案があったのだ。塩崎さんは気持ちを切り替えてファッションショーに全力を注ぐことにした。