天職に出合い、結婚もした矢先……
この転職は大正解。企業分析には長けていたため、ファンドマネジャーへのアドバイスがことごとく役に立ち、投資成績も抜群に良かった。「これが天職だったんだ」と実感し、自信を強めていく。バイスプレジデントとして十分な成果を上げ、見合う評価も得ていった。
転職後に井出さんは結婚。「妊活もしなくては」と思い描くライフプランを着々と進めており、仕事と家庭の充実を感じていた。
そんなあるとき、自分の成果と裏腹に、米国本体の屋台骨だったあるファンドのパフォーマンスが著しく悪化し、資産の流出が止まらなくなっていた。その止血のため、2012年ごろから海外支社のリストラが始まり、日本支社でもチームの何人かが退職勧奨を受け、雲行きが怪しくなり始めた。
そして、ある日突然「日本支社を閉鎖することになった」と告げられた。人生で二度目のリストラだった。
ただ今回は、期待されるパフォーマンスが出せていなかった前回とはわけが違う。結果は出してきた。なのに、会社の都合でまた仕事を辞めなくてはならなくなったのだ。「自分のライフプランを台無しにされた」という怒りを抑えきれなかった。
子どもをあきらめなければならないかもしれない
「これから子どもを持ちたいと考えていた矢先のことでした。アナリストの仕事は、成果を上げて新しい顧客から信頼を得るには数年かかります。その前に産休に入るようなことは避けたいというのが私の考えでした。これまでのキャリアをつないで同じ職種であと数年、結果がでるまでは……と考えると、子どもをあきらめなければならなくなるかもしれない。とても悩みました」
男性であればこんな悩みを持たなくて良いのに、と就活の時に感じた理不尽な思いが、またここでよみがえった。女性であるだけで、どうしてこんなに苦しいのか。行き場のない怒りだった。
しかし、足踏みしている暇はない。転職活動を急ぐが、当時は日経平均株価が8000円台にまで落ち込んだ時期。転職はとても厳しい状況だった。IRや財務、ヘッジファンドなどの打診があった中、たまたまボストン・コンサルティング・グループ(以下、BCG)の情報収集を行うナレッジチームでコンサルティングをやらないかと連絡が入った。
同じ職種ではないが自身のバックグラウンドが活かせると同時に、BCGは女性が出産後も働き続けやすい環境を整えることに前向きで、その点を強調されたことにも心を動かされ、ジョインを決めた。
タクシーを飛ばしてお迎えへ
採用されたのち、しばらくして妊娠。1年働いて産休に入り、復帰後は時短勤務で働いた。保育園は夫の企業内保育所にしか入れず、タクシーを飛ばして迎えに行かなければならないほどタイトな生活だった。
多忙を極める日々の中、心の支えになったのは、社内で増えてきたママ友の存在だ。
「どれだけ周りの人に理解があったとしても、育児と仕事との両立の大変さはやってみないとわからないところがあります。集まって話す機会ができてきて、『普段の食事作りってどうしてる?』とたわいもない会話の中で料理の話題になることが増えていったんです」
ようやく見つけた人生の「戦友」たち。起業の「き」の字も頭になかった井出さんは、ここで人生を変える発見をすることになる。
シェアダイン 共同代表
1978年、高知県生まれ。2000年、東京大学経済学部卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。09年アライアンス・バーンスタイン、12年ボストン・コンサルティングを経て17年シェアダイン創業。
文=藍羽 笑生