自分も子育てしていたはずなのに

しかしその彼女にも、既に大きくなったとはいえ子どもがいるのだ。いま保育園に子どもを通わせる親たちと同じように幼い子どもを育てた経験があるのに、そういう考えになるのか……と、私はどう受け止めればいいのか困ってしまった。

その場がみな彼女の意見に肯定も否定もしかねて当惑しているのに焦れるかのように、彼女はその計画を推進している地元の議員にも批判の矛先を向け、議員が票集めのためにしてみせるポーズのせいで自分たちが不利益を被るのだ、だから自分は住民の反対運動に参加すると締めくくった。これは自分の好悪だけのエゴイズムではなく、質の悪い政治家の失策に振り回されることへのNOであり政治的態度である、と話を彼女なりの“高次元”な場所に上げてみせたように感じられた。

私は、高い教育を受け理性的だと思っていた大好きな友人の中から、きっちりと理論武装されてはいるがNIMBYネスらしきものが酔いに任せてひょっこりと表出したことにひどく衝撃を受け、どう消化していいものか困ってしまった。

小学校でも近隣対応に追われている

そういえば、息子が地元の公立小に通っていた時、私はPTAの役員を引き受けていた。新任でやってきた50代の副校長はとてもよく気のつく女性で、ときどき神経が細やかすぎて参っている様子でもあった。彼女が特に神経をすり減らしていたのは、学校の近隣住民や地元有力者との付き合いだった。

「学校の大きなシンボルツリーの落ち葉が多すぎて、周辺にお住まいの皆さんからご迷惑とのクレームがあったので」と、落ち葉の季節は毎日早朝に出勤し、1時間以上もかけて自ら学校の敷地をぐるりと一周掃いて回っていたのを見て、PTA役員が慌てて手を貸した。月例会議でも、彼女はクレーム対応の苦悩をぶちまけた。「地域の方から、子どもたちの登下校の声がうるさいとお電話をいただきました」「地域の方が、○○方面に下校する子どもが民家の高級車を触っていたとお怒りです」「校庭の砂が風で舞い、洗濯物が汚れたとのお電話がありました」……。