根回し不足で「生意気」扱い
「外資系は何をするにもスピード重視ですが、日本企業はまず合意形成が大事。それを考えず、とにかく早く進めることが善だと思い込んで、あるとき一人でプロジェクトの企画書を作って会議で出したんです。とたんに総スカンを食いました。『外資から来たよそものが勝手に進めて』と、かなり生意気に思われてしまったんですね。そこからのリカバリーは大変でした」
事前に皆に企画書を見せて、根回ししておけば何事もなかっただろう。この失敗を経て、皆で一緒にやっていくんだという雰囲気づくりに心を砕くようになった。信頼回復には時間がかかったが、周囲に「この失敗を繰り返さないためにはどうしたらいいか」とアドバイスを求め、それまで以上に一生懸命働いて、受け入れてもらえるよう努めたという。
「仕事を進めることに臆病になった時期もありましたが、それではダメだと思って、逆に自分の非を厳しく指摘してもらうことにしたんです。経験から言えば、若いうちにコーチやメンターを求めることは大事ですね。メンターになってくれと頼まれて嫌な気持ちになる人はいないので、あえて話しかけにくい人や、ちょっと距離がある人に頼むのがオススメです。次から味方になってくれたり、より客観的な視点を得られたりしますから」
上司のムチャぶりのおかげで今がある
失敗を成長の糧にしたことで、活躍の場は広がっていく。マーケティングにとどまらず、広告からイベント、リサーチ、PRまで幅広い領域を担当。大変ではあったが、その分多くを学ぶことができた。無我夢中で働き続け、そして仕事も波に乗った33歳のとき。長男を授かって産休に入った。
「嬉しさと同時に、今仕事を離れたら勘を取り戻せないんじゃないかという不安もありました。産休中も、自宅でできる仕事をこなしたり、資格をとったりしていましたね。結局、産後2カ月で復帰したものの、今度は夫の海外赴任が決まってしまって」
しばらくは日本と海外を行ったり来たりの生活を続けたが、やがて仕事との両立が難しくなり退職を決意。新生銀行を辞めて夫の赴任先で暮らし始めた。同時に、「せっかくだからインプット期間にしよう」と考えて、現地の大学でマーケティングを学び始める。
帰国後、イギリスに本社を置く金融大手HSBCにSVP(シニア・ヴァイス・プレジデント)として入社。ブランディング担当ながらリサーチやPRも任され、ここでも複数の領域を手がけ続けた。しかし2008年、リーマン・ショックが起きて投資環境が悪化。市場が冷え込む中、秋田さんは記者との情報交換を通して投資家の関心対象を感じとり、すぐさまリサーチとプレス発表を行う。この発表は大きな反響を呼び、投資家の間に「買い」の雰囲気が生まれる一因になった。
「専門領域を複数持っていたため、それらをリンクさせて成果につなげることができました。30代前半、上司のムチャぶりに応えて幅広い業務をこなしたおかげですね。あのときは大変でしたが、今思えば本当にいい経験でした」