予想外の転職と留学が成長のきっかけに
金融業界でキャリアを重ね、46歳でソフトウェア会社「アドビ システムズ」に常務執行役員として入社。IT業界への転身は意外にも思えるが、若いころからアドビ製品のヘビーユーザーだったこともあり、同社には好印象を抱いていたという。
「クリエイティブ、デジタルマーケティング、ドキュメント管理とアドビの3つのツールをフル活用していて、仕事はもちろん個人的なWebサイト作成などでもずっと助けられてきました。だから、この仕事に出会ったときは迷いませんでしたね。キャリアも後半戦に入ったし、これからは自分の好きなものをプロモートしていこうと」
金融業界で培った手腕と長年のユーザー経験を生かし、現在は上記3つのクラウドサービス(※)においてマーケティングと広報を統括。製品のプロモートのほか、会社の将来戦略をどう描いていくか、今後の日本社会にアドビ製品がどう貢献していけるかなども考える立場にある。次代のリーダー育成や社外との関係づくりも重要な仕事のひとつだ。
上は14歳から下は2歳まで、3人を子育て中
プライベートでは14歳、5歳、2歳の3人の子育てに奮闘中。休日には長男と一緒に空手の稽古に出かけ、長い休みがあれば家族旅行も欠かさない。一方で、仕事のための勉強も怠らずに続けている。毎日が目の回るような忙しさだが、「仕事も子育ても楽しいし、新しいことに挑戦するのが好きだから」と明るく笑う。何事にも全力投球する、バイタリティーあふれる女性という印象だが、これまでの道のりは決して平坦ではなかった。
大学卒業後、数少ない女性総合職の一人としてメガバンクに入社。意欲満々で仕事を始めたものの、すぐ厳しい現実に直面したという。
「会社は、男性には『頭取を目指して頑張れ』と言うのに、女性には『いつか副支店長になれたらいいね』と。女性への期待値の低さに驚いて、ここじゃ自分の将来像が描けないなと思いました」
誘いのあった石油会社に転職し、翌年に結婚。ところが、間もなく夫のアメリカ留学が決まる。「将来のキャリアのためにも一緒に留学したほうがいい」という上司の言葉に背中を押され、苦手だった英語を猛勉強して夫とともに留学した。最初は英語での授業に四苦八苦したものの、あきらめず熱心に学び続け、2年後にMBAを取得して帰国する。
留学先でつらさを乗り越えた経験が自信につながり、帰国後、外資系のシティバンクを経て、当時誕生したばかりの新生銀行にマーケティング部次長として迎えられる。船出したての銀行で、初めての管理職。やる気十分で臨んだが、その意欲と外資系の風土への慣れが失敗を引き起こした。
※3つのクラウドサービス=クリエイティブソリューション「Adobe Creative Cloud」、マーケティングソリューション「Adobe Marketing Cloud」、ドキュメントソリューション「Adobe Document Cloud」
根回し不足で「生意気」扱い
「外資系は何をするにもスピード重視ですが、日本企業はまず合意形成が大事。それを考えず、とにかく早く進めることが善だと思い込んで、あるとき一人でプロジェクトの企画書を作って会議で出したんです。とたんに総スカンを食いました。『外資から来たよそものが勝手に進めて』と、かなり生意気に思われてしまったんですね。そこからのリカバリーは大変でした」
事前に皆に企画書を見せて、根回ししておけば何事もなかっただろう。この失敗を経て、皆で一緒にやっていくんだという雰囲気づくりに心を砕くようになった。信頼回復には時間がかかったが、周囲に「この失敗を繰り返さないためにはどうしたらいいか」とアドバイスを求め、それまで以上に一生懸命働いて、受け入れてもらえるよう努めたという。
「仕事を進めることに臆病になった時期もありましたが、それではダメだと思って、逆に自分の非を厳しく指摘してもらうことにしたんです。経験から言えば、若いうちにコーチやメンターを求めることは大事ですね。メンターになってくれと頼まれて嫌な気持ちになる人はいないので、あえて話しかけにくい人や、ちょっと距離がある人に頼むのがオススメです。次から味方になってくれたり、より客観的な視点を得られたりしますから」
上司のムチャぶりのおかげで今がある
失敗を成長の糧にしたことで、活躍の場は広がっていく。マーケティングにとどまらず、広告からイベント、リサーチ、PRまで幅広い領域を担当。大変ではあったが、その分多くを学ぶことができた。無我夢中で働き続け、そして仕事も波に乗った33歳のとき。長男を授かって産休に入った。
「嬉しさと同時に、今仕事を離れたら勘を取り戻せないんじゃないかという不安もありました。産休中も、自宅でできる仕事をこなしたり、資格をとったりしていましたね。結局、産後2カ月で復帰したものの、今度は夫の海外赴任が決まってしまって」
しばらくは日本と海外を行ったり来たりの生活を続けたが、やがて仕事との両立が難しくなり退職を決意。新生銀行を辞めて夫の赴任先で暮らし始めた。同時に、「せっかくだからインプット期間にしよう」と考えて、現地の大学でマーケティングを学び始める。
帰国後、イギリスに本社を置く金融大手HSBCにSVP(シニア・ヴァイス・プレジデント)として入社。ブランディング担当ながらリサーチやPRも任され、ここでも複数の領域を手がけ続けた。しかし2008年、リーマン・ショックが起きて投資環境が悪化。市場が冷え込む中、秋田さんは記者との情報交換を通して投資家の関心対象を感じとり、すぐさまリサーチとプレス発表を行う。この発表は大きな反響を呼び、投資家の間に「買い」の雰囲気が生まれる一因になった。
「専門領域を複数持っていたため、それらをリンクさせて成果につなげることができました。30代前半、上司のムチャぶりに応えて幅広い業務をこなしたおかげですね。あのときは大変でしたが、今思えば本当にいい経験でした」
一番大変だったのは40代前半
30代後半をHSBCで過ごし、40代に入ってからはシティバンクSVP、マスターカード副社長、アドビ システムズ常務執行役員と、着実にステップアップしていく。一見、順風満帆のように見えるが、実はこの間に長女と次男が誕生。仕事と子育ての両立に悪戦苦闘する日が続き、特にアドビ入社直前は長男の中学受験も重なって、これまでで一番大変だったそう。
「物事が思うように運ばなくて、心身ともにつらくなったりモチベーションが下がったりした時期もあります。そんなときは、どうすれば自分をいい状態に持っていけるだろうと考えて、心身のメンテナンスに励みました。可能な限りの規則正しい生活、バランスのよい食事、ジョギングなどの運動、日光を浴びること……。家庭菜園も癒やしになり、いっぱいいっぱいな気持ちをリセットできました」
加えて、子どもの存在は力にもなる。「こんなものもとってあるんですよ」と嬉しそうに見せてくれたのは、長男が幼いころに2人でやりとりしていた交換絵日記。母から子へのページには人気キャラクターのイラストが丁寧に描かれていて、子どもを喜ばせたいと願う親心がひしひしと伝わってきた。
「あの人と仕事できてよかった」と言われたい
多くの転機に直面しながらも、一貫してキャリアを育んできた秋田さん。その原動力を「後で振り返ったとき、自分なりに精一杯やったと思いたいから」と語る。年齢を重ねるうち、ともに働いた友人が亡くなる悲しい体験もした。
「1カ月後には自分もどうなっているかわからない。だから、今ここで皆と仕事ができることの幸せをかみしめながら、誠実に働いていきたいと思っています。そして、いつか自分がいなくなったとき、『あの人と仕事できてよかった』と思ってもらえたらうれしいですね」
現在の目標は、日本の子どもたちの創造性発揮を手助けすること。アドビの調査によると、日本は海外からクリエイティブな国と認識されているにもかかわらず、自らをクリエイティブだと考える日本人はごくわずかなのだという。秋田さんは、アドビ製品を使って小学生のうちから思いを形にすることに慣れ親しんでほしいと考えている。また、日本企業の働き方改革も、デジタルドキュメントツールの導入促進を通じてサポートしていく方針だ。
「今後も、アドビのツールを若者の創造性発揮や働き方改革に役立てもらえるよう、しっかりプロモートしていきたいと思います。私たちの仕事は、皆がハッピーになるよう世の中を変えていくこと。そこを目指して挑戦を続けていきます」
役員の素顔に迫るQ&A
Q 好きな言葉
為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
成らぬは人の 為さぬなりけり
Q 趣味
空手、ワイン、旅行
「仕事のためにワインを勉強したらすっかり虜に。ワインエキスパート資格もとりました」
Q 愛読書
『ローマ人の物語』塩野七生
Q Favorite Item
ネーム入りボールペン
「誕生日に長男がサプライズでくれたもの。小さいころフェルトで作ってくれた星も宝物です」
アドビ システムズ マーケティング本部 副社長
東京大学経済学部卒業。1994年メガバンク入行。東燃(現・東燃ゼネラル石油)に勤務後、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院にてMBA取得。帰国後、新生銀行、HSBC、シティバンク、マスターカード等を経て2017年アドビ システムズ入社。18年、副社長に就任。
(文=辻村洋子 写真=小倉和徳)