▼先を見通せる女と見通せない女
1789年のフランス革命で欧州に激震が走ります。断頭台に散った王妃がいれば、身の安全と王室を守った女王も。その差は何だったのでしょう?
遊び好きの美女と、勉強家の不美人の明暗
18世紀にロシア帝国をかつてないほど強大に発展させたエカテリーナ2世。容姿に恵まれず、しかもドイツの貧乏貴族出身の彼女は、血のにじむような努力を重ねてロシア語を学び、ロシア人になりきりました。前女王亡きあと、愚鈍で粗暴な夫を死に追いやり、ロシア人の血が一滴も流れていないのに女帝の栄冠を勝ち取ります。常に学習を怠らず、人心掌握術に長(た)け、将来を見通す力が卓越していたからでしょう。
1789年にフランス革命が起きて、後述のマリー・アントワネットが処刑。エカテリーナは革命の波をロシアに波及させまいと防戦します。そしてフランス王政の失敗は、王と側近が無能であることに起因していると見抜いていました。とても聡明(そうめい)ですが“英雄色を好む”の女版で、21人も愛人がいたそうです。しかし世継ぎの息子(不倫相手の子どもとされる)との関係が最悪だったのが人生の汚点。息子は母を憎み、即位後にエカテリーナの政策をすべて否定し、最後は暗殺されてしまうのです。
エカテリーナ2世
ロシア●1729~1796
デンマークの宮廷画家エリクセン作。下から見上げている構図なのに、リアルな筆致によって、とにかく背が低かったことがわかる。着飾ってはいるが、あか抜けない印象なのも、肖像画としてはかなり正直だ。
【光】恋多き女性だが、男性に溺れることはない。有能な恋人だけを政治のパートナーにする。
【影】しゅうとめに息子を奪われると、自分も全く同じことをする。親子の信頼を築けなかった。