「ゴミ出し」が夫婦の死活問題になるワケ
自説を曲げない人は、反論するかもしれない。会話において、戦いの論理が働くはずはないと。だが実際にそうなのだ。調査によると、あなたに力があり、相手に力がない場合には、威嚇がとても効果的だ―少なくとも短期的には。もし上司が声を張りあげれば、あなたは引きさがるだろう。しかしそのことで両者の関係はどうなる? あまりに頻繁に部下を威嚇する上司は、引く手あまたのすぐれた従業員に去られてしまうだろう。
それに、体重500ポンドのゴリラは、500ポンドのゴリラでい続けねばならない。つまり人を威圧する権力者は、ずっと権力者のままでいなければならない。誰かをいじめれば、相手はそれを忘れない。後年あなたが力を失えば、力をつけた彼らに報復されるだろう。
法執行機関は、人の生死を扱っている。私たち一般人はそうではないのに、そうであるかのように振る舞うことがある。私たちの“恐竜脳”が、すべての議論を生存の危機だと見なしてしまうからだ。たとえば、「誰がゴミ出しをすべきかという議論は、死活問題だ」といった具合に。まあ、たしかにもっともだが。
対テロリスト交渉に学ぶ会話術
しかし、人命が危険にさらされている状態でも、ニューヨーク市警のような賢い人質交渉者は、戦闘より話し合いを選ぶ。1970年代以降、危機に対処する交渉人は交渉(交換)モデルに焦点を置くようになる。武力は用いない。「人質を解放すれば、金を渡そう」。このほうが良さそうではないか? しかし、この方法にも問題があった。
このやり方が劇的な転換を遂げたのは1980年代だ。警察は、犯人との話し合いは大きな効果をあげると認識した一方で、ビジネス式の交渉モデルは、彼らが遭遇する多くの事件に適用できないとわかった。
70年代には、明確な要求を持ったテロリストによる、劇場型犯罪の航空機ハイジャックが増加した。ところが、80年代に警察が遭遇した事件の97%は、金を要求するわけでもなければ、これといった政治的要求もない、精神に混乱をきたした犯人によるものだった。
そこで、次なる交渉原則が開発された。戦闘も交換も思うような成果をあげなかった結果、暴力的な犯人と対峙した交渉人と重装備の警察官が最善策として考えたものは何だったか? それは「共感」だった。家庭内紛争の当事者も自暴自棄な犯人も、セールスマンのような口調の人間には反応を示さなかった。しかし、誠実な態度で、犯人の心情に焦点を合わせるやり方は、効果的な解決に結びついたのだった。