キャリアを変えることはリスクです。決断を後悔するかもしれません。それでも新天地に飛び込んだ女性たちがいます。なぜその一歩を踏み出すことができたのか。連続インタビューをお届けします。今回は、司会業の大塚裕子さんのキャリアについて――。

※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年4月号)の掲載記事を再編集したものです。

司会業、研修講師、キャリアコンサルタント
大塚裕子
さん 53歳 転職1回 留学 独立

CA→パート営業→披露宴司会→マナー講師→外国語講師→……

日本航空のCAとして、海外を飛び回っていた大塚さん。37歳で再婚し、授かった第2子が重度のアトピーだったことから、試練の日々が始まる。

(下)CA時代に購入した腕時計と、友人から贈られたスワロフスキーの指輪がお守り。

「空気のきれいな土地に行くと症状がおさまるので、会社を辞めて知人が住む山梨に移住を決めました。東京で働く夫とは、別居することになりました」

県内の食品会社でパートの営業職として採用されたのが42歳。

「営業は初めてだったので、入門書などを読み漁って勉強し、なんとか新規契約がとれるようになりました。でもパートの私の意見はほとんど聞いてもらえず……」

転職も考えたが、自分には専門的なスキルがない。悩んでいると、「披露宴の司会はどう?」と友人にすすめられ、東京のアナウンススクールに通い、話術を磨いた。そして県内の結婚式場に電話をかけまくり、契約している司会者派遣エージェントの名前を聞き出すことに成功する。46歳のときだ。

「電話をしたら『募集は40歳まで』と言われて、とっさに年をごまかしました(笑)。面接で正直に話して謝ったら、何とか採用されて……ほっとしました」

華やかな式場でスポットライトを浴びる新郎新婦を見ていると、晴れやかな気分になった。

「これは天職かもと思い、食品会社は辞めました。でも、司会業は季節変動が大きく収入は不安定。そこでCA時代の先輩の会社で、企業向けのマナー研修講師としても働き始めました」

その後も不安定な収入を補うべく、観光会社のコンシェルジュや外国語専門学校の講師など、語学力を活かした仕事をこなした。