大正の華やかな時代から戦中・戦後も生き抜いた女性がいる。ノンフィクション作家の平山亜佐子さんは「16歳で恋人のため小指を詰めた芸者の照葉は、その後も男たちに翻弄されたが、平成6年まで生きた」という――。

※本稿は、平山亜佐子『戦前 エキセントリックウーマン列伝』(左右社)の一部を再編集したものです。

羽子板を持つ大阪の芸者・照葉。1920年に作られた絵葉書
羽子板を持つ大阪の芸者・照葉。1920年に作られた絵葉書(写真=Flickr/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

指を詰めた後“ソクバク男”の妾にされる

16歳の秋になった頃、独身で資産家で遊び方も綺麗な江藤恒策という旦那がついて1年間の贅沢三昧ぜいたくざんまいをさせてくれた。ところが気晴らしに箱根に行った時、江藤から実は結婚していると告げられる。

さらに、仕事が軌道に乗るまで今までのように気ままにさせておけないから妾として落籍したいとのこと。照葉が断ると、いきなりはさみで照葉の髪を切った。「髪がなければお前は芸妓をやめるだろう」。なすすべもなく花街から足を洗い、あれほど嫌だった妾生活に入った。男の異常な束縛に6年間耐え忍び、やっと逃れた時には23歳になっていた。

1919(大正8)年、戸籍上の親である常どんの元に戻った照葉は大阪南地で再び芸者に出た。ブロマイドのおかげか人気は衰えておらず、あちこちの座敷をこなす日々。

大阪の株仲買人と結婚、アメリカへ渡る

そこで出会ったのが北新地の若き株仲買人、小田末造だった。洋行帰りでハイカラだが自慢もせず、賑やかで陽気な性格に惹かれた。小田は女房になってくれたら新婚旅行にアメリカに連れて行くと言う。照葉は話を反故にされたら即離婚すると約束をして結婚した。

数カ月後、照葉は小田とアメリカ行きの船に乗っていた。

サンフランシスコやロサンゼルスを訪れ、ハリウッドでは早川雪洲と懇意になった。小田が帝国キネマ演芸株式会社の重役になったためなんとか雪洲を取り込もうと企んだが、とはいえ照葉と仲良くなられては困ると思い、彼女をホテルに閉じ込めて、自分だけが毎晩遊びまわっていた。