旧来の“ホテルレストラン”は淘汰された

日本の主だった高級ホテルの原型は、東京オリンピック(1964年)前後か、その後の大阪万博(1970年)のころにできたものだ。東京の旧御三家の一角、「帝国ホテル東京」新本館(1970年開業)、「ホテルニューオータニ東京」本館(1964年開業)は、その代表例だ。

その頃から日本の市場特性に合わせた収益の「1/3理論」というのがある(宿泊1/3、料飲=飲食1/3、宴会1/3の売上げ構成)。近年は変化しているものの、これは日本独特のビジネスモデルと言っていい。欧米のホテルの収益は圧倒的に宿泊主体である。したがって、日本の高級ホテルは飲食施設、すなわちレストラン・バーが昔から充実していた。

ホテルでは、宴会を含めて西洋料理(ウェスタン)が主流で、日本料理、中国料理などはスペシャリティ・レストラン的な位置付けであった。そのウェスタンではかつて、

(1)メインダイニング(フレンチ等のコース主体)
(2)グリル(一品も注文可能で肉料理主体)
(3)コーヒーハウス(早朝から深夜まで「通し営業」のカジュアル施設)

の3店構成が多かった。

時代の流れとともに変化を続け、帝国ホテル東京では、正統派フレンチメインダイニング「フォンテンブロー」と「グリル」を統合して、スペシャリティ感の強い、今のフレンチダイニング「レ・セゾン」とした。それにほんの少しカジュアルな伝統フレンチ「ラ・ブラッスリー」、コーヒーハウス的な施設とバイキング(バフェ=ブッフェ)の構成である。

かつては、魚介主体のフレンチ「プルニエ」もあった。現在はなくなって、日本料理のテナント店となっている。20年以上前からホテルの正統派フレンチ(メインダイニング)が振るわなくなり、その影響でイタリアンなどが流行した時期もあったが、これも不振となって、現在ではほとんど見かけなくなってしまった。今もメインダイニング的なフレンチの不調は続いている。帝国ホテル東京の「レ・セゾン」や東京ステーションホテルの「ブラン・ルージュ」など好調なのは、例外だ。

思うに、フレンチやイタリアンはバブル期前後をその胎動期として、いわゆる街場に特徴ある名店がそれこそ星の数ほどあるような状況になってしまった。1980年代以前、本格的なフランス料理店はホテル内以外には、数えられるほどしかなかったから、ホテル=リーディング・レストランのある場所であった。時代を経れば経るほど、高級かつ個性的なレストランが街場に増え続け、ホテルのレストランはこれらと競争しなければならない時代に突入した。

他方、強力なライバルに負けぬ、素晴らしいレストランが一部のホテルに存在する。