もっとも社会人になってからも、わが子に望むことは変わりませんでした。「平凡がいちばん。与えられた目の前のことをコツコツやることが大事だ」とずっと言い続けていました。私も子どもの頃はいろんな夢を見たし、学生時代は最高の人生の設計図を勝手に思い描いていたけれど、社会人になると現実の厳しさに直面。実は平凡に生きることこそが難しいと自覚していくわけです。

平凡でいいと言われても、人は心のどこかで人より一歩でも前に出たいと焦り、自分がいかにがんばっても他人が評価されると悔しさがつのる。どうしても人をうらやみ、人生の勝ち負けにこだわりがちです。けれど、母から教えられたのは、どんなときも心惑わされず、平凡でもきちんと生きていくことのほうが人間としてはるかに大事だということ。社会人になってようやく、母の思いがわかるようになりました。

(左)「母は子ども好きで、近所の子を預かっては保育園のようなことをしていた。洋裁や料理も得意で、おふくろの味といえばきりたんぽだった」(右)母にプレゼントした香水「RENCON TRE(ランコントレ)」(ポーラ)。温かくてやさしい母性のような香りが特徴。

母の言葉を指針に人生を歩み続ける

そんなおふくろが他界したのは29年前、まだ62歳という若さでした。長膠原病(らくこうげんびょう)を患い、病院へ見舞いにも通っていたけれど、まさかそんなに早く亡くなるとは思っていなかった。母親が「もう長くないかもしれない……」と漏らしたときも、「何を言ってんだ。こんな病気くらいで死ぬわけないじゃないか」と励まして帰ったのですが、それから数カ月も経たず逝ってしまい、死に目にも立ち会えませんでした。

母親に十分な親孝行をできなかったことが負い目となり、悔やまれてなりません。せめてもの気持ちから、東京の自宅にも母親の位牌(いはい)と写真を置き、毎日のように会話するようになりました。だからこそ、母親のことを思い出す機会も生前より多くなったような気がします。

今でも時々、こんなときにおふくろだったらどう言うだろうか、と考えることもあります。例えば仕事上で決断を迫られるとき。ここは強引に押し進めたほうがいいのか、それで誰かを犠牲にしてはいないかと迷ったときに、母親の言葉が頭に浮かぶのです。「人様に迷惑をかけるな、平凡でもきちんと生きていくことが大事なのだ」と。きっと母親ならこう言うでしょうし、それが今もなお、自分の進むべき道を示してくれる指針になっています。

阿部嘉文(あべよしふみ)
1956年、秋田県出身。早稲田大学教育学部卒業後、ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)に入社。ポーラ北九州販売社長、ポーラ・オルビスホールディングス総合企画室長などを経て、2012年にオルビス常務取締役、14年に同社・代表取締役社長に就任。16年、公益社団法人日本通信販売協会会長。

構成=歌代幸子 撮影=国府田利光